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060916 日本近代洋画への道-11

仕事と資料整理で終わりそうなゴールデンウイークですが、ひとつくらい宿題を進めようと思います。前回の日本近代洋画への道-10(07.01.14)の続きです。明治20(1887)年に洋画科の設置されなかった東京美術学校が出来ますが、その翌21年滞仏中の黒田清輝(1866-1924)に、画家への転向を勧めた山本芳翆(1850-1906)が帰国し、画塾生巧館を開き洋画を教えます。この画塾は明治27(1894)年、黒田清輝とその朋友久米桂一郎に譲られ、明治29(1896)年の白馬会への設立につながるのです。

芳翆は、小山正太郎、浅井忠らが国粋主義に対向し、西洋画家の団結を呼びかけて明治22(1889)年に設立した明治美術会に参加します。会のメンバーには他に高橋源吉、川村清雄、松岡寿等がいました。

060916 日本近代洋画への道-11_f0005116_1152793.jpgここで東京上野にある「黒田清輝記念館」の写真を載せておきましょう。明治美術会には帰国した黒田清輝も当初参加しますが、印象派風の明るい作風が受け入れられたり、第4回内国勧業博覧会で裸体画論争にまで発展した作品「朝妝」などで独自の道を歩み、明治29(1896)年には官僚的な明治美術会から脱退します。そして先述したように久米、芳翆とともに白馬会を結成し、おりしも西洋画科が新設された東京美術学校の指導者となるのでした。もし山本芳翆が黒田清輝に画家への転向を勧めなかったら、日本の近代西洋画の歴史は、また違ったものになったかも知れません。
by ttru_yama | 2007-05-06 00:32 | ギャラリー
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