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0910-「20世紀少年」の町-345 (南吉生誕103年-162)

鴉根畜産研究所-1 
0910-「20世紀少年」の町-345 (南吉生誕103年-162)_f0005116_2143282.jpg新美南吉の不遇な時代の1つに、杉治商会に勤めていた畜産研究所(S12.9-12、以後S13.3まで本社勤務)時代があります。杉治商会というのは当時家畜飼料の製造販売を行っていた、杉浦治助氏(三代目、碧南出身)の会社で、大正末期に半田の鴉根(からすね)地区で養鶏飼料の製造を始め、昭和10年には全国一のシェアを占めていました。(参考「棚尾の歴史を語る会」資料 /写真:新美南吉記念館)

ただ近年 杉治商会は、飼料の原材料高騰を受け採算が悪化、破産手続きをしているようです。(2011年現在)
現在の半田市の南部・鴉根地区には、当時の鴉根畜産研究所の施設等は残っていませんが、今回はそんな歴史の面影を追ってみたいと思います。

0910-「20世紀少年」の町-345 (南吉生誕103年-162)_f0005116_2153338.jpgまず半田市の大まかな地図(Google)の説明ですが、中央を縦に延びているのが知多半島道路で、上部(北)にマークしたのは、新美南吉記念館(赤〇)と、南吉生家(青〇)です。そして鴉根地区は下部(南)の楕円形(緑色)部分で、なだらかな山(丘陵地)で南は武豊町となります。

自転車でもあれば生家から通えなくもない距離ですが、全寮制が会社の方針で朝も早かったようです。
0910-「20世紀少年」の町-345 (南吉生誕103年-162)_f0005116_2155347.jpgもう少し地図(YAHOO)を細かく見ていきますと、地区には東西斜めに延びる主要道があります。右端の稲荷町交差点近くには、鴉根稲荷神社(黄〇)があり、中央付近にあるマーク(赤〇)は、後で出てきますが、榊原弱者救済所跡公園です。その左側の大きな丸で囲ったのが半田更生園(青〇)で、元杉治商会の中心部があった辺りのようです。
そしてこの東西の道は左へ行くほど登り坂となっていて、緑のマーク(緑〇)が坂の頂点あたりで、鴉根のシンボル的な松の木「鴻の松」が立っていました。

0910-「20世紀少年」の町-345 (南吉生誕103年-162)_f0005116_22305894.jpgさて、ほとんど手がかりの無い鴉根地区ですが、まず稲荷町の鴉根稲荷神社から見ていくことにします。鴉根山には狐が居たということで、童話「狐」にも登場します。
『「鴉根山の方にゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」
「母ちゃんや父ちゃんはどうする?」
(中略)「父ちゃんと母ちゃんは相談をしてね、かあいい文六が、狐になってしまったから、わしたちもこの世に何のたのしみもなくなってしまったで、人間をやめて、狐になることにきめますよ」
「父ちゃんも母ちゃんも狐になる?」』
ちなみにこの鳥居は、南吉が鴉根に来た、昭和12年に建てられたものでした。
by ttru_yama | 2016-05-19 00:08 | 新美南吉
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