人気ブログランキング | 話題のタグを見る

0910-「20世紀少年」の町-296 (南吉生誕103年-151)

詩人・茨木のり子とふるさと西尾-8
0910-「20世紀少年」の町-296 (南吉生誕103年-151) _f0005116_1052577.jpg
それではまた図録の地図を参照させていただきます。〈2回クリックで拡大〉地図はのり子が西尾へやってくる7年前のS3(1928)年頃の西尾市街図がベースで、左半分の緑色 (原図では黄色)のエリアが旧城下町で、
0910-「20世紀少年」の町-296 (南吉生誕103年-151) _f0005116_12321548.jpg右のそれこそ京都のように碁盤の目状に整備された西尾駅周辺区域が、T14(1925)年3月創立の「花ノ木耕地整理組合」(組合長は中村謙作町長)によって開発された新興市街地です。

前回出てきた「みどり川」は、青色表示で城下町の東部を流れています。(写真/永楽橋~桜橋付近にある「花ノ木耕地整理組合碑」)

0910-「20世紀少年」の町-296 (南吉生誕103年-151) _f0005116_12454020.jpg図上で西尾駅の東側に赤色で囲われているのは、のちにのり子も通った西尾高等女学校で、T7(1918)年7月に仮校舎にて開校し、翌8月にこの場所に本校舎が竣工しました。
ところで実は当時の愛知電気鉄道の線路は、みどり川の1本西筋を走っており「警察署」となっている場所が以前の西尾駅でした。思うに以上のことから京都を意識した道路計画や、四條橋などの名称は、この耕地整理計画から出来てきたように想像します。

ということで線路はこの「花ノ木耕地整理」により、S3(1928)年この地図の位置に移動し、新しい西尾駅も高等女学校に隣接して建てられたのでした。
この碑には「西尾の歴史的発展段階に於ける画期的計画により(中略)市街の中核を形成し、近代都市西尾の誕生に寄与す」と刻まれています。

0910-「20世紀少年」の町-296 (南吉生誕103年-151) _f0005116_11395115.jpgこちらが移動前にあった最初の西尾駅兼本社で、M44(1911)年10月に開業しました。(写真集・明治大正昭和・西尾より)社長は岩瀬弥助といい、今回の「茨木のり子」展の会場となった、岩瀬文庫を創設した地元の事業家で、耕地整理組合の副組合長でもありました。
鉄道の開業当時は西三軌道といい西尾から岡崎新駅までを結んでいましたが、翌年改称して西尾鉄道となり、T4(1915)年8月、その後のり子が移り住む吉田町の吉良吉田駅までが開通しています。

0910-「20世紀少年」の町-296 (南吉生誕103年-151) _f0005116_12415316.jpgこの旧西尾駅舎はS5(1930)年から、(図にも描かれていますが西尾)警察署として使われましたが、屋上から八ツ面山方面を俯瞰した様子(写真参照)が、同写真集に残っています。
解説によれば写真中央を斜めに縦断する白い道が、かつての線路跡で現在は2車線の道路になっています。そしてわかりにくいですが、その右手に並行して木々が連なっているところが北浜川(みどり川)です。
ちなみにこの建物は現在ありませんが、五條橋の筋で西側が吾妻町の駐車場になっています。
by ttru_yama | 2016-03-17 22:17 | 茨木のり子
<< 0910-「20世紀少年」の町... 0910-「20世紀少年」の町... >>