帰ってきた「ででむし詩碑」-21
S16.3.10に行った「岩津天神」の遠足のひとコマです。(写真/新美南吉記念館)ここに写っている生徒は、学級担任の19回生ではないのですが、南吉先生の思い出ということで、前回の市民映画「琥珀のような空」にもよく出てきたシーンです。
さて月日は流れ4年間受け持った19回生も、楽しい思い出とともにS17年3月に巣立っていきました。そんな5月、南吉先生は教え子にあて、級報「雪とひばり」なる連絡機関誌を送ったようです。
「雪とひばり」というのは、もちろん「第一生徒詩集」のタイトルだったわけです。
そのあたりの様子は、大野秋紅氏の「新美南吉ノート」に記されています。それによればこの級報「雪とひばり」は、B5版5枚もので最初に「はじめのことば」が書かれていました。(以下抜粋)
『新緑の目にあざやかな季節になりました。みんな元気ですか。(・・)けれどいつもみんなのことを思ってゐます。(・・)さて、できるだけ、みんなと縁の切れるのをふせぐやうにと、またみんなが何かにつけて協力し団結する一助にもなるやうにと、こんど級報をつくることにしました。』
『名を僕がかつてに雪とひばり、とつけました。いい名ではありませんか。多くの人はまだおぼえてゐることと思ひます。それが、あなた方の一年生の三学期、はじめてできた詩集の名であつたことを。』
『山のばあさんがいつも花を入れて来る籠のやうに、いつもあかるくたのしい便りがのつて、この級報があなた方の手にとどけられることを祈念してゐます。』
そして次に、卒業生の最新の動静を記した一覧表や、補修科生として学校に残った生徒が書いた学校の様子が記されています。
そしてこの「雪とひばり」は、この同窓会名にもなったといいます。