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0910-「20世紀少年」の町-156 (南吉生誕100年-18)

0910-「20世紀少年」の町-156 (南吉生誕100年-18)_f0005116_17252181.jpgどんどん先へ進みたいのですが、前回(南吉が) 『underZero』 さんのページで、『弟益吉とカガシヤに行った事が日記にも記されている』というのがありました。
そう「20世紀少年」の町-139(江ちゃん里帰り-新・長浜編-5/南吉生誕100年-2)」にて、南吉の出生については書いたのですが、6歳年下の弟・渡辺益吉(ますきち)さん(大正8=1919年2月15日-昭和20=1945年8月1日)について、改めてここでふれておくことにします。
(絵は中学時代の南吉が、益吉さんを描いたもの/新美南吉記念館)

ということで益吉さんは南吉から見れば、腹違いの弟となるわけですがこの二人、実の兄弟のように仲が良く、南吉は弟を「マスキ」と呼んでかわいがり、小学校の勉強も良く見てやりました。
益吉さんも南吉を「兄チャン」(大きくなってからは「兄ちゃ」)と呼び、童話雑誌にたびたび入選する兄を誇らしく思っていました。
そう南吉は自分の作品を、よく弟に読み聞かせていました。ですから益吉さんは、南吉作品の最初の読者でもあったと言えます。

0910-「20世紀少年」の町-156 (南吉生誕100年-18)_f0005116_2122345.jpgさて南吉が『弟と一緒にカガシヤへ行った。』というのは、東京で就職したものの肋膜炎で帰郷した南吉が、半田で定職にもつかず療養生活をしていた23歳、昭和12年2月15日のことです。
その時弟益吉さんは18歳になったばかりですが、すでに就職し知多郡小鈴谷村(現・常滑市小鈴谷)の盛田酒造に就めていました。この時は益吉さんが歯の治療で、バスで半田に来る用事にかこつけて、カガシヤで待ち合わせをしたようです。(この写真がどのくらい、その時代に近いかは不明です)

その時の南吉の日記を見てみましょう。
『・・かがしの中は田舎の喫茶店としては明るく温かだった。自分は明るさと温かさの中にいる時真の幸福感にひたることが出来るが反対に暗い寒いとこにいるときはもうどうに(も)やりきれない位不仕合せを感じる。それでゆったりした気持ちで弟と話をしていた。ここの常連らしい豚肉屋の若い男が、給仕女をからかっていた。・・』(現代かな漢字他編集)
この後二人は同盟書林(半田の本町にある古くからの書店)に寄り、南吉はサンデー毎日特別号を買うのですが、弟に払ってもらっています。

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さてその後、南吉は安城高等女学校の教師となり、益吉さんは昭和15年2月29日出征するのですが、南吉はこの時日章旗に女生徒の署名をもらい送別しています。ただしこの時は一旦返され、出征は南吉が亡くなった以降のように思われます。

そしてこの慰霊碑は常福院にある岩滑から出征した兵士のもので、英霊名碑に昭和20年の終戦の年、8月1日にフィリピンで戦死した益吉さんの名前が刻まれています。南吉29歳、益吉さん26歳の若さでした。
by ttru_yama | 2013-06-17 23:52 | 新美南吉
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