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0910-1006 「20世紀少年」の町-34(常滑 水の旅-3)

0910-1006 「20世紀少年」の町-34(常滑 水の旅-3)_f0005116_22512021.jpg「常滑 水の旅」を進めないといけないのですが、季節ものの話題がどんどん過ぎていってしまうので、今日は、5月29日(土)に行われた「柴船権現まつり」の話をしようと思います。この祭りも露店が出るので、「常滑山車まつり」と同様、「20世紀少年」関連的には、ケンヂ(このブログではケンヂは、常滑生まれであると仮定しています)達も楽しみにした祭り、ということにしておきましょう。(笑)

実はこのポスターの「葵の紋」でも分かるように、『柴舟(船)権現=徳川家康』のことは、常滑の事を調べ始めたときに知ってはいたのですが、まさか今から428年も前の故事が、現在の旧常滑地区で市長さんも参加する祭事として、とり行われていたとは思ってもいなかったのでした。


0910-1006 「20世紀少年」の町-34(常滑 水の旅-3)_f0005116_23132316.jpg「水の旅」に関連づけて、祭りの行われる市場地区付近・大落川(おおおちがわ)の写真をのせておきましょう。常滑は江戸時代には廻船業も盛んな土地で、伊勢海域から江戸、大阪にも船を出していましたが、こういった川も運河として米や焼き物等が運ばれたといわれています。

ただ「柴舟権現」の話は、それ以前の天正10(1582)年6月2日、信長が明智光秀に倒された「本能寺の変」まで遡ります。

その時、家康は堺にいましたが追手を逃れ、伊賀越で伊勢の白子までたどり着きました。白子からは柴を積み常滑に向かう柴舟に同乗して常滑に渡ったといわれ、その上陸地(と目される個所の1つ)に家康を祀る祠が建ったのです。というわけである意味「本能寺の変」がなければ、家康と常滑のつながりはなかったかもしれません。家康はこの地で手厚い保護を受け、半田から碧南大浜、そして岡崎城までたどり着いたのでした。
(つづく)
by ttru_yama | 2010-06-14 00:01 | 「20世紀少年」の町
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