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090814 国民型ラジオ2号A受信機-4

090814 国民型ラジオ2号A受信機-4_f0005116_9272813.jpg前回も参照した国民型受信機一覧のページによれば、トヨタの国民型ラジオ2号A受信機が認定されたのは、昭和22(1947)年5月16日の事ですので、トヨタのラジオ製作はその頃から始まったと思われます。

写真は昭和24、5年頃のトヨタ自動車工業㈱刈谷北工場(右/現 ㈱デンソー)と刈谷南工場(左/現 トヨタ紡織㈱)の様子です。(トヨタ鞍ケ池記念館写真パネルより)

ということで、国民型ラジオは刈谷南工場で作られていました。実際に昔の刈谷南工場に勤務していた方が今回の展示ラジオを見に来られ、当時ラジオ製作していた場所まではっきりと記憶されていたのです。刈谷南工場は昭和25年5月に民生紡績㈱となり、昭和42(1967)年8月、豊田紡織㈱ (現 トヨタ紡織㈱)となります。

そしてもう一方の刈谷北工場側でもラジオを作っていたことがわかりました。ただし確実なところは、昭和24(1947)年12月に刈谷北工場が日本電装㈱となった翌年25年以降の話で、作っていたのは並4ラジオとしかわかっていません。(国民型ラジオ2号A受信機は高1ラジオ)

090814 国民型ラジオ2号A受信機-4_f0005116_1215130.jpgトヨタ自動車がラジオ等のいわゆる「やり繰り生産品」を製造していた背景には、戦後のGHQ指令があります。軍需工場に指定されたトヨタ自動車、及び関連工場には生産ストップが掛かり、生活必需物資への生産転換を余儀なくされ、トヨタ自動車においても当初は民需向けのトラックしか作れず、そのため食いつなぐ「やり繰り生産品」を作るしかなかったのです。

刈谷市史には当時の豊田系各社「やり繰り生産品」が載っていますが、その内の日本電装㈱(現 ㈱デンソー)の項には、鍋・フライパン・電気ストーブ・電気七輪・アイロン・ラジオ受信機などが載っています。今回見てきたトヨタ「国民型ラジオ2号A受信機」生産の背景には、こうした経緯があったのでした。
ただしトヨタ自動車のホームページや、鞍ケ池記念館の社史パネルには、ラジオ生産のことは一切触れられてはおらず、今回のような展示物により生きるために苦闘した戦後の、悲惨な時代を偲ぶことができます。
(おわり)
by ttru_yama | 2009-09-20 12:30 | 昔のこと
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