その後の東北本線の大正8(1919)年3月1日の東京-神田間開通、大正14(1925)年11月1日の神田-上野間の開通により、東京駅は帝都の中央玄関としての地位を益々発展させてゆくのですが、そのさなかの大正12(1923)年9月1日、関東大震災の猛威にさらされることとなります。
ただし民家の多くが倒壊炎上、三越、万世橋駅等も被災する中、東京駅はほとんど無傷でした。
写真は「東京駅前震災当猛火襲来避難実況」とタイトルされた当時の絵葉書のようですが、自動車、大八車、人力車が行き交う中、避難場所を求め東京駅に集まってきた人々の様子を写し出しています。
当時の写真の中に凛と建つ東京駅をバックに無残な姿で被災した鉄道省の写真が残っていますが、そんな中でも鉄道復旧は急ピッチで進められました。
この絵葉書写真では機関車先端までしがみついた乗客を搭載し、震災の東京を離れる8620形機関車が写っています。