「ほっ」と。キャンペーン

<   2016年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧

0910-「20世紀少年」の町-344 (南吉生誕103年-160)

2016年 南吉・桜巡り-3(4月4日)/(4月5日)
f0005116_2046840.jpg
本当は「貝殻碑」のある雁宿公園は半田市内有数の桜スポットなのですが、桜との構図が悪く断念しました。似たような理由で、半田中学校と岩滑小学校も割愛しました。
①ということで南吉記念館に来て、芝生広場越しに記念館を撮ってみました。②次の写真は逆の方角から撮ったもので、赤いよだれかけの六地蔵とその脇にいる「ごん」が、こちらの様子をうかがっています。

③次は市内のはずれにある「南吉の養家」の駐車場の桜です。この木も何となく後植えの感じがしますが、南吉にとっては寂しい思い出ばかりの家ですので、ある意味救われる華やかさです。ここには「墓碑銘」碑があります。
④そして知多半島の最後は、東海市にある星城大学(明徳短期大学)にある「イツノコトダカ」碑です。こちらもかなり難しい構図で、無理やり撮ったという感じになっています。
f0005116_22113255.jpg
続いて4月5日は安城編です。①何といっても1番目は、元安城高女だった安城市立桜町小学校で、②ここには「南吉のうた」庭園があり、2013年に里帰りした「ででむし碑」があります。

③桜町小学校の南西には安城公園がありますが、その裏通りの歩道(中央アスファルト)には明治用水が暗渠になって流れています。左手に掘割がありますが、こちらもその一部かと思われます。
④この安城公園には文学の散歩道があって、安城に関係した人物の碑があり南吉の「牛」という詩碑があります。
f0005116_20551878.jpg
次の写真は桜と関係のないものばかりですが、記録の為に載せました。①は市役所南の交差点から東に延びる花ノ木町通りで、少し先に今はアスファルトの下に埋もれた花の木橋があります。

花の木は南吉の「花のき村と盗人たち」の村の由来と言われていますが、少し前までこの写真の道の右手方向に「花ノ木観音」や「地蔵菩薩」があったのが、再開発で道を隔てて反対方向へ移動していました。②が移転場所になりますが、こうして地域の人に守られ存続しています。

③その再開発の中心的な存在がブルーネットで覆われ、翌H29(2017)年6月オープンを目指す「中心市街地拠点施設(愛称・アンフォーレ)」です。元更生病院のあった跡地で2013年の南吉生誕100年では、七夕まつりと合わせ付近はイベント会場となりました。

④このブルーネットの向こうの通りは御幸本町通りなのですが、その一方2012年4月28日オープンし、民間で安城の南吉情報を伝えてきた「ギャラリー&カフェ・南吉館」さんが、昨2015年12月で閉館してしまいました。(南吉を含む市内観光情報は、安城駅1Fの観光案内所「KEY PORT」で行われています)
[PR]
by ttru_yama | 2016-04-23 23:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-343 (南吉生誕103年-159)

2016年 南吉・桜巡り-2(4月4日)
f0005116_21534547.jpg
①南吉生家を北に向かって行くと、矢勝川に架かる高田橋に辿り着きます。ここが町境で橋の向こうは阿久比町となります。まr橋の右手にある堤防には桜並木が連なり、一帯が「ごんごろ緑地」という小公園となっています。

②どうしてそんな名前が付いているのかと言うと、南吉童話「ごんごろ鐘」の碑があるからです。③この堤防沿いの道の先にもう一つ「ごんごろ緑地」に説明碑があります。その説明文では昔は付近に水車小屋があり、南吉も家の手伝いで米や麦を搗きながら童謡や詩を作ったとあります。

この場所に「ごんごろ鐘」の碑が置かれた経緯は知りませんが、物語の中では供出された鐘が川の堤に来たとき、「子供たちが猫柳や桃やたんぽぽなどを取ってきて鐘にささげた」というくだりがあります。
④ごんごろ緑地は名鉄河和線の線路で行き止まりとなっており、おりしも阿久比から半田方面への電車がやってきました。季節にぴったりのまさに「春の電車」です。
f0005116_217259.jpg
①②高田橋から西を見渡すと「ででむし広場」があり、すべり台のわきにピンクの枝垂れ桜と白い山桜が咲いていました。さらにその奥には阿久比町の権現山の桜も望めました。

③権現山へ行く前に思い出して、「ででむし広場」の南側にある常福院に寄ってみますと、黒板塀の向こう側、境内を囲んで桜が見事に咲いていました。④続く写真は権現山のふもとからの眺めです。
f0005116_2221799.jpg
①権現山は本来なら狐の像のある、鳥居の所から石段を登るのですが、下の道には駐車スペースがないので山の上まで行き、「五郷社」の広場からの桜見物です。
②一帯は「植公園」となっており、黄色い「ごんぎつねの森、権現山」の幟がはためく中、遠く矢勝川堤防の向こう岸に半田市の岩滑地区が見渡せます。(中央の白い建物は岩滑北保育園)

③そして今度はぐるっと南へ大回りして、半田空の科学館南にある任坊山(にんぼうやま)公園に来ました。④こちらの公園トイレの壁面には、「ごんぎつね」と「牛をつないだ椿の木」のレリーフ(白枠内参照)があります。
[PR]
by ttru_yama | 2016-04-20 20:19 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-303 (南吉生誕103年-158)

2016年 南吉・桜めぐり-1(4月4日)

南吉の「貝殻忌」を書いてるうちに桜が満開になったので、急きょ「南吉・桜巡り」をすることにしました。南吉碑や関連場所に行き、なるべく桜を入れて写真を撮ってくるというもので、かつて 南吉生誕100年-22頃に一度やったことがあります。
f0005116_0544616.jpg
①最初の写真は名鉄河和口駅前にある「かっぱの花ちゃん像」で、像自体はS31(1956)年に建てられ塗装が剥げたままになっていたものを、還暦の60年を機に化粧直しをして今年3月11日に除幕されたものです。

この像自体は南吉とは全く関係ありませんが、かつてこの背後の海岸は海水浴客でにぎわい、S8(1933)年8月5日の南吉日記には、弟と一緒に泳ぎに来て時志観音(影現寺)にも寄り、「(中山)夏やちゑともあった。」と書かれています。②それが次の写真になりますが、時志観音は中山家の次女が嫁いでおり、手伝いと夏休みの避暑を兼ねて姉妹がよく逗留していたそうです。(この観音像はS56年に出来たもの)

③さらに進んで河和の海岸線ですが、この海岸も海水浴で賑わった海岸です。(この背後の高速船乗り場にも南吉句碑「少女細く」があり、南吉が安城高女生徒の水泳の引率で来たようです)
④4河岸写真の右サイドの山の上に南吉がS12(1937)年4月より5か月間、2回目の代用教員をした「河和第一尋常小学校」があります。その校庭には「石何年」の詩碑(石何年 苔蒸し清水 しみわたり)があり、昨日の雨で花が寂しくなった枝垂れ桜を背景に撮ってみました。
f0005116_23355384.jpg
①河和小学校のラストは正門わきの桜です。時代がかった灰色の門柱に、桜のピンクが対象対照的なコントラストです。このあたりの話は(南吉生誕100年-26)でも少し触れています。
②そして一気に半田市まで戻り、南吉の時代はカブトビール工場だった「半田赤レンガ建物」です。近年すっかり保存や観光整備が進みましたが、裏通りのこの道筋は「大道(おおみち)」と呼ばれ、当時は岩滑から半田へ抜ける主要道で南吉もよく通った道です。
③その道を北に向かうと左手に宮池と入水(いりみ)神社(住吉神社)があります。④宮池にはカイツブリの仲間の「ひよめ」が生息し、南吉も幼いころから聞いたわらべ歌を「一年生とひよめ」に書いており、その碑が建っています。この辺りは (南吉生誕100年-38)に書いています。
f0005116_934940.jpg
①住吉神社から大道をさらに北へ、名鉄河和線の踏切りを越すと南吉のふるさと岩滑(やなべ)地区に入ります。この河和線については(「春の電車」-その2)に書いています。
②さらにその先、右側の県道264号線を跨いで、左が南吉生家への道です。南吉の時代、県道はまだなく道はうねって岩滑部落を通っていました。
③生家の北側に(おそらく後植えかと思いますが)桜の木があります。④その先八幡社の境内脇の桜もよく咲いていました。
[PR]
by ttru_yama | 2016-04-16 23:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-302 (南吉生誕103年-157)

2016年 南吉没後73年「貝殻忌」-5(3/22日-2)

f0005116_20365754.jpg次は常福院。「ごんぎつね」でも「中山さまのおとのさま」として、名前の出てくる中山氏の城があったところで、中山家の墓もあります。また作品「ひよりげた」にも、裏やぶの中に住む狸の親子のほほえましい情景が描かれています。

f0005116_2127023.jpg光蓮寺にやってきました。戦時中お寺の鐘を供出した「ごんごろ鐘」の話の舞台で、案内板にもその時の写真が写っています。浄土真宗の寺で「百姓の足、坊さんの足」では、報恩講のある雲華寺として登場します。

f0005116_22151599.jpgところで光蓮寺には南吉記念館学芸員の遠山さんが、一行を待っていてくれました。
光蓮寺は南吉の生家・渡辺家の菩提寺ではありませんが、菩提寺は半田市内でも少し遠かったので、南吉も幼少の頃より光蓮寺に出入りしており、半田市で南吉顕彰運動が始まった17回忌以降法要をされています。
そして今回はお寺のご厚意で、特別に命日に焼香をさせて戴きました。(いつも出来るわけではありません)
f0005116_2346434.jpgこの後 一行は南吉の母校で、代用教員もした岩滑(やなべ)小学校(当時は半田第二尋常小学校)に寄り、「権狐」碑や、小学校の校長だった竹内惣九郎先生の像を見学しました。

f0005116_1232698.jpgこのあと晴天の下、右手の権現山を見ながら矢勝川沿いの堤防を歩いて記念館に向かいます。秋の彼岸花で有名な堤防ですが、「今はこうなっています」とガイドさんが現在の彼岸花を示されました。(写真内白枠)
そして命日の本日は入館無料(現在・普段でも210円)という、南吉記念館へ無事辿り着きました。
記念館では午後、「蓄音機コンサート」がありました。(13:30-14:10)
(おわり)
[PR]
by ttru_yama | 2016-04-04 23:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-301 (南吉生誕103年-156)

2016年 南吉没後73年「貝殻忌」-4(3/22日-1)

f0005116_22364877.jpg4日目最終日は「貝殻忌ウォーク」(9:45-11:30)ということで、ガイドボランティア 「南吉案内人」さんが、南吉のふるさと文学散歩をガイドされました。(参加無料)
集合場所は南吉生家に近い名鉄・半田口駅で、構内には「ごんぎつね」を始め 南吉作品にちなんだ絵の看板がいっぱいあります。詳しくは「春の電車-序」以降を参照ください。
f0005116_15382479.jpgさて一行(10数名)の中には、前々回(3/20)の安城「南吉・朗読会」に出演していた、石川惠深さんも参加されていましたので、生家前で記念撮影をさせてもらいました。参加者は銘々生家内を見学し、ガイドさんは生家前の常夜灯の出てくる作品を案内されました。

f0005116_16145797.jpg「狐」の舞台となる八幡社にやってきました。仲間と一緒に本郷の夜まつりに来た主人公の文六ちゃんが、神社の舞台で稚児となったトネ子の舞を見たところです。ここは生家と別宅「はなれの家」の中間にあり、南吉が毎日の様に行き来していました。

f0005116_16465895.jpg次の常福院に向かう途中ゴミ収集車に遭遇しました、半田市のは「ごんぎつね」の絵が描かれています。




f0005116_1724527.jpg常福院の手前に「はなれの家」があります。二軒の家の間に案内板があり、ここで撮った父・多蔵さんと南吉の写真が載っていますが、二軒分が渡辺家の敷地だったそうで、ずいぶん広かった訳ですが家業の畳や下駄などの倉庫も含めてだったようです。
[PR]
by ttru_yama | 2016-04-02 20:29 | 新美南吉