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0910-「20世紀少年」の町-277 (南吉生誕102年-132)

與田 凖一のふるさとを訪ねて-2

f0005116_20264136.jpg與田 凖一のふるさと瀬高町は、有明海にそそぐ筑後川・矢部川の流域を中心とする筑紫平野の南部にあり、米野菜を中心とした田園地帯の中にあります。
町の中央には鹿児島本線が通り、博多駅から特急で40分ほどの距離にあります。背景にうっすら見えますが、町の東部には山地がつらなり最澄が開いたという天台宗の「清水(きよみず)寺」があります。

清水寺は九州西国霊場であり県下でも名の知られた名刹で、京都の清水寺に追従して整えられ、與田の師である白秋の碑と後には與田自身の詩碑が建てられています。

f0005116_21213320.jpgあいかわらず雨が降っていて、車中からの写真ですが鹿児島本線「瀬高駅」で、S17年までは「矢部川駅」という名前でした。
前回の話で矢部川近くの與田の生家跡を訪ねましたが、M45年 與田7歳の時に與田・浅山家の家業を整理し、この駅前にて菓子店舗と青果業を始めたといいます。姉ヨシが嫁いだ料亭も駅前にあり、現在も営業しています。

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訪ねた順序が前後しますが、こちらは與田が小学校及び高等小学校時代を過ごした、現・みやま市立下庄(しものしょう)小学校の写真です。
後に與田はこの母校の校歌を作詞(S30年)するのですが、赤枠内はその当時の小学校写真(記念館資料)です。
南吉や多くの文学少年がそうだったように、 與田もこの小学校・高等小学校時代を通じて文芸書に親しみ、卒業後も学校の謄写版を借り同人誌をやっていたようです。

f0005116_20113220.jpg小学校の廊下の一角に「與田準一コーナー」があるというので、見せて頂きました。こちらが校歌の作詞と作曲をした、與田準一・細谷一郎両氏の額縁です。

f0005116_2130512.jpg校庭にある童謡「小鳥のうた」(S29年発表)の詩碑です。この童謡は芥川也寸志の作曲で、広く子どもたちに歌われることになりました。
歌碑は下庄小学校創立130周年記念歌碑として、H19年1月に建立されました。(つづく)
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by ttru_yama | 2015-10-27 23:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-276 (南吉生誕102年-131)

與田 凖一のふるさとを訪ねて-1

f0005116_21382362.jpg10月の始め、童謡「小鳥のうた」の作詞者であり、かつ「赤い鳥」の編集者で南吉の上京以後、巽聖歌とともに南吉の良き理解者でもあった「與田(与田)準一の「ふるさと」、福岡県みやま市瀬高(せたか)町を訪ねました。
写真は「與田準一記念館」で、みやま市立図書館に併設された郷土資料室を改装し、2009年10月に開館しました。
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こちらが與田準一記念館の入口付近の様子で、左手に「小鳥のうた」の原稿をバックに立つ與田の姿があり、右手が記念館の入口です。

f0005116_20142137.jpgその右手には市内の小学校の児童の寄せ書きで、與田の詩「ぶどう」のオブジェが飾られています。
『ぶどうのように/ ひとつひとつが/ まるく。//ぶどうのように/ みんながひとつの/ ふさになって。・・』
館内には各小学校の児童が、與田準一について調べたノートが置かれていました。

f0005116_21594727.jpgふだん記念館は撮影できませんが、特別に中を撮らせていただきました。館内は上方に年表や説明パネルがあり、下方の陳列ケースには書簡とか自筆の原稿等が置かれています。

今回 管理する図書館員さんと、ボランティアの方に説明を聞かせて頂きましたが、まだ専任の学芸員までは置けないので、資料整理なども数名のボランティアの方たちが整備中とのことでした。
(ただし南吉との書簡等は見つかっていないそうです)

與田準一(1905-1997)はM38年6月25日、福岡県山門(やまと)郡 瀬高町上庄(かみのしょう)に、父浅山与太郎、母スエの6人兄妹の二男として生まれ、翌M39年に親戚の與田家の養子となりますが、養母養父ともその年になくなり、與田姓のまま実家に戻ります。
この点で生い立ちが南吉と重なりますが、準一はまだ1歳の頃ですから、南吉のように寂しいとかの記憶はなかったことと思います。

f0005116_2342768.jpgここからは記念館の資料などを参照しながら、與田準一のふるさとを見ていこうと思います。まずは館員さんの車で與田準一の生家跡に連れて行っていただきました。
みやま市は、北原白秋の生家のある柳川市とは隣町となりますが、市境を流れる矢部川にかかる瀬高橋付近に、その生家跡があります。

残念ながら雨が激しく車内から眺めるだけでしたが、この写真の赤い家の手前付近の敷地が、與田の生家があった場所です。ただここには7歳までで、その後鹿児島本線の瀬高駅付近に転居します。(つづく)
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by ttru_yama | 2015-10-17 09:00 | 「20世紀少年」の町

0910-「20世紀少年」の町-275 (南吉生誕102年-130)

帰ってきた「ででむし詩碑」-お休み

f0005116_20172356.jpg今年も、毎年秋恒例の「安祥文化のさとまつり」(第10回)の時期がやってきました。「安祥文化のさとまつり」とは、安城市の歴史文化を小学生から市民のグループまでが、日頃培った歴史・文化の研究成果を発表する催しです。

10/3-4の開催日には、安祥城址公園にて武者行列や和太鼓演奏等のイベントに加え、市民ギャラリーでは研究発表の展示、歴史博物館では発表した児童・生徒の表彰式、各市民グループの発表会がありました。

このうち南吉関連では「ででむし会」さんが朗読を、「新美南吉に親しむ会」さんが、「御所で見つかった”小さな詩集”~美智子様が訳された新美南吉の詩~」の発表をされました。

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この「御所で見つかった”小さな詩集”」とは、表紙がクリーム色の新書サイズの22ページもので、御所の書庫に保管されていたといいます。
美智子妃は1975年から「東京英詩朗読会」に参加されるようになり、そのおりに南吉の詩の英訳朗読をされるのですが、同じ会員であった武蔵野美術大学の内藤教授が、それらを詩集にまとめて差し上げようと、デザインを一人の学生に託して実現したものです。
(写真は今回の説明用で、現物の詩集のものではありません)

f0005116_22411090.jpgそしてこの英訳詩の元となった、南吉の詩集「墓碑銘」(1962年出版)は、巽聖歌から献上されたとのことで、美智子妃はその中より9編を朗読し、内6編を英訳されその6編が詩集に収められました。

今回「さとまつり」の発表では6編のうち、南吉の安城時代の作品「朝は(IN THE MORNINNG)」「落葉(FALLEN LEAVES)」「垣根(HEADGES)」「初夏抒情(LYRIC OF AN EARLY SUMMER)」「泉(A SPRING)」の5編が、順次2人のペア(写真参照)により日本語と英語で朗読されました。

日頃 南吉の詩に馴れ親しんでいる会員さんばかりですが、こと英文それも美智子妃の英訳となると緊張もあったと思いますが、みなさん堂々と発表されていました。
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by ttru_yama | 2015-10-07 23:45 | 新美南吉