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0910-「20世紀少年」の町-274 (南吉生誕102年-129)

帰ってきた「ででむし詩碑」42
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再び、帰ってきた「ででむし詩碑」-39に続き、校舎内の説明に戻ります。(「安城高女略図」(かつお・きんや著「人間・新美南吉」より))以下、主に教室や廊下そして花壇の話になります。

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そしてこれが普通教室の写真です。((第一回)卒業記念寫眞帖より)ただし19回生(S16年度入学)の頃は、すでにセーラー服での授業風景となります。

写真では右側が廊下側に見えますので、講堂の方角(西向き)を向いての授業だったようです。19回生は56人(7列×8人)だったとのことで、ほぼ写真の並びの状態で南吉先生も、新入生と対峙していたことでしょう。

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最初の図にあるように普通教室は、(入学当初は)1学年に1教室があてがわれ、3棟ある校舎の中央棟に置かれていました。というわけで(断言はできませんが)おそらくこの写真は、中央棟の廊下ではないかと想像しています。

写真の向きとしては教室写真とは逆になっており、奥から4年3年購買部、中央廊下、図書室2年1年ピンポン室ときて、背後に講堂があったかと思われます。ですから講堂で何か式典でもある時は、この廊下付近で渋滞が起きたといいます。そしてガラス越しにうっすらと木立も見えますが、この廊下の外側には中庭があり、この付近の中庭に「ででむし詩碑」となった石もあったと思われます。
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by ttru_yama | 2015-09-21 23:44 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-273 (南吉生誕102年-128)

帰ってきた「ででむし詩碑」41

f0005116_1150420.jpg前々前回の「帰ってきた「ででむし詩碑」-39にて安城高女の国旗掲揚塔の石を、(S15.3.10)生徒が採取する話をしました。この行事は遠足も兼ねており、南吉も途中から合流しています。
その時の南吉日記の記述をもとに、写真で見返してみたいと思います。まず最初はJR岡崎駅近くにある「正覚寺」の記述が3/14(全集P.212)から出てきます。
正覚寺は石川喜久枝という1年前に病死した生徒の実家で、南吉は彼女の父である住職を訪ね焼香をしに行っています。車で訪れた寺は道から広い境内に乗り入れられられる寺で、左手に墓地がありました。

f0005116_15424432.jpg南吉はここから駅の東に向かいまっすぐ美合の種畜場に歩いて行ったことでしょう。余談ですがその道の途中の北寄りに、かつては岡崎の競馬場があり、今は長池という競馬場の形の池があります。

今回の遠足の目的地であり、南吉が先回りして訪れた種畜場は現在、愛知県立農業大学校になっています。種畜場というのは今でいう県の畜産試験場ですが、S9年には追進農場が併設され校舎の他、追進館という大講堂が建てられました。(写真左上)
また余談になりますが、この講堂はH18年の連続テレビ小説、「純情きらり」の舞台としても登場します。
そして現在この講堂や体育館では、月に何度か学生たちが作った農作物が、味も良く安価ということで日中に時間を決めて販売されています。この日も近所の人が車や自転車で集まって、わずか30分ほどであらかた売れてしまいました。

f0005116_163032.jpgその後日記には戸田先生や生徒たちと合流し、種畜場の牛や豚や綿羊の事が出てきますが、次の目的地の大平川に向かいます。ここの河原で、国旗掲揚塔の石を拾って持ち帰りました。

といいながら採石した場所が不明なのですが、大平橋の下手にある大平川神社付近の堰堤のある河原へ行ってみました。水の流れは意外と速く大水の時と思いますが、写真右下にあるよう手ごろな石が、堰堤の上に乗り上げて残っていました。実際には河原に転がっている石を集め、リュックなどに入れてきたことでしょう。
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by ttru_yama | 2015-09-13 23:50 | 新美南吉