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0910-「20世紀少年」の町-236 (南吉生誕101年-89)

帰ってきた「ででむし詩碑」-9
南吉生誕100年-リーフレット-52(2013.10)
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おさらいがてら、安城駅から眺めた現在の本町通りを見てみましょう。歩道も出来ましたし、南吉のころより道幅は圧倒的に拡張されています。
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続いて御幸町通りの交差点、右側が安城駅方向です。左の茶色いビルが南吉の時代、金魚屋だったところで、前回の話で暴走した牛が店先に突っ込んだところです。
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さて、もう一度前回取り上げた御幸町通りの写真です。(「写真集 明治大正昭和 安城」より)
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それとマップの詳細とを比べてみると、あてはまる店が結構あります。
中でも写真左手中央部にある、「日新堂書店」は南吉も足しげく通いました。給料が70円のところ、この本屋だけでも借金が18円もありました。日新堂書店は知立(ちりゅう)に本店があり、安城は支店だったといいます。

そして今では、この店の南吉コーナーには、絵本・童話・伝記本がしっかり揃えられています。
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リーフレットコーナーは、「南吉つぁんの山車揃え」~童話「狐」の世界~(2013.10.19)です。
私は見ていないので詳細は不明ですが、春の祭りと同様に山車が出て、南吉記念館にて4台がそろったようです。
f0005116_048177.jpg続いて2013.10.19/20に公演のあった、「新美南吉の日記」、劇団オクムラ宅愛知公演(半田市亀崎 來教寺)です。

新美南吉の、主に日記にある言葉をベースに構成はされていますが、かといって単純に南吉の青春物語を辿っているわけでもなく、南吉の手紙や作品などからも言葉を抽出し、そのエッセンスで物語は進行していきます。

ですからいわゆるセリフでつなぐ芝居劇ではなく、朗読劇的な要素を持つ作品になっています。この話は(南吉生誕100年-36)でも取り上げています。

f0005116_1451322.jpg10/20、安城の南吉の下宿先にて開催された、女優・石川恵深さんによる、『朗読パーティ2013』「南吉さんの下宿遍」です。こちらも前述のリンクにて、内容を記載しています。
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by ttru_yama | 2014-10-27 23:50 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-235 (南吉生誕101年-88)

帰ってきた「ででむし詩碑」-8
南吉生誕100年-リーフレット-51(2013.10)
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前回の続きになりますが、S26年頃の安城本町通りです。影が長いので夕方の通りを、安城駅駅方向から写した写真のようです。(「写真集 明治大正昭和 安城」より)
下記に前回のまち並みマップを載せましたが、そちらにも「ラジオや」というのがありますので、写真中央にある「稲垣ラジオ商会」かもしれません。ちなみにマップにある左隣の店は、「ふとんや」ではなく「若見屋靴店」が写っています。
(南吉がいた頃とは、10年ほど時代が新しくなっています)
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参考のため、前回のマップを載せておきます。(ことのついでに言えば、このマップの左上の囲み記事にあるのは、「新美南吉に親しむ会」代表の澤田さんです)
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そして本町通りの十字路をマップ上で左に行くと御幸町通りで、写真上で駅は右方向になります。この写真が何年頃とは書かれていませんが、歩いている学生は安城高校生とのことですので、S23年以降(からS30年代?)の写真です。(「写真集 明治大正昭和 安城」より)

この写真には写っていませんが、左端が十字路で角っこに「金魚屋」という果物屋がありました。(マップ参照)
南吉はここで干し柿を買い、チッキで大阪の恋人(中山ちえ)に送ったことがありますが、南吉日記によればS15年2月の始め頃、安城駅にいた牛が汽車に驚いて本町通りを暴走し、この店の陳列棚を壊した事件がありました。

その話は、南吉の「大力の黒牛と貨物列車の話」に取り入れられています。ただ物語の方で、牛が飛び込んだのは床屋になっています。(つづきは、また次回)
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リーフレットの方は、2013.10.4の「ごんの秋まつり」(南吉記念館周辺)です。
f0005116_2348549.jpg写真は「ごんの秋まつり」に開催された、「新美南吉の宝探し」の参加シートです。初級から上級まで3種類あり、南吉関連の場所に行って、クイズの解答が書かれた宝箱を探します。そして完成させるとガラガラ抽選機にて、お菓子やシールがもらえました。
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記念館広場では劇団アウトサイダーさんにより、「ごんぎつね」が広場で上演されました。他にはダンス、抽選会などがあり、最後に大きな鍋で「ごんなべ」がふるまわれました。
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by ttru_yama | 2014-10-20 23:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-234 (南吉生誕101年-87)

帰ってきた「ででむし詩碑」-7
南吉生誕100年-リーフレット-50(2013.10)
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これまでざっとリーフレット記事などで、安城のまちな並みを紹介してきましたが、「旧安城高等女学校」がどこにあったかを、もう一度「南吉が青春を過ごしたまち安城」にある当時のまち並みのマップを見ながら、昭和13年4月から南吉が勤めた、安城高女への道をたどってみたいと思います。

ざっと大まかなルートを説明しますと、この見開き右ページの一番上の鉄道の駅が東海道線の「安城駅」です。そこから下(南西)に駅前の本町通りがあります。本町通りの途中から左(北西)に曲がって御幸(みゆき)通りに入り、東海道線と平行にどんどん進んでいくと、やがてマップの左端に「安城高女」があります。

 まず安城駅ですが南吉が高女に勤めていた時代は、戦前なので鉄道省の駅でした。南吉は住んでいた岩滑から半田駅に向かい、武豊線を走るガソリンカーで乗り換えの大府駅まで出て、東海道線は蒸気機関車に乗って(図の左方向から)安城駅にやって来ていたのでした。

f0005116_16465758.jpgちょうど左ページの下にある「南吉メモ②」に、S14年の7月安城駅ホームにて生徒を引率して、富士登山に向かう南吉先生の姿(右端)が写っていますので、メモコーナーを拡大しておきます。

似たような写真で高女に勤めはじめたS13年の5月にも、関西方面修学旅行の引率として逆のホームにて生徒と写っている写真があります。

f0005116_17363741.jpg次に私の持っている「写真集 明治大正昭和 安城」(神谷素光編)より、昭和30年頃の本町通りの写真を紹介させていただきます。(ちなみに故・神谷素光氏は、「新美南吉に親しむ会」の顧問で、会を育成された代表人物の一人です)

掲載写真は安城駅から本町通りを写したもので、戦後のS30年頃とのことですが、S29年から始まった「安城七夕まつり」のアーチ看板が写っています。左側に今は無くなった西川屋とか、現在もある大垣共立銀行の看板が見えます。

そして右手前には、まち並みマップにもある東寿司の看板が見えます。この後ろが南吉日記にも出て来る食事処の「川本」らしいのですが、看板などが確認できません。(つづく)
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リーフレットの方は2013.10.12、10.13に上演された「合唱オペラ ごんぎつね」(雁宿ホール)です。
3部構成で第1部は「新美南吉の詩を歌う」で、半田少年少女合唱団が4曲を歌いました。

第2部は合唱オペラ「ごんぎつね」を語る、第3部は合唱オペラ「ごんぎつね」です。・・が、もうすっかり内容を忘れています。(笑)
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ということで、フィナーレの様子だけ載せさせていただきます。

f0005116_185071.jpgそのオペラのあった10/12、10/13の夜18:30からあった、ごんの秋祭り「ランプの灯りコンサート」のチラシです。



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南吉記念館の広場にてキャンドルライトがともされ、琴やオカリナの演奏会などがありました。(が、その開始前に帰りましたので、写真は準備中の様子です)
枠内のイルミネーションは、半田工業高校生の制作したものです。
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by ttru_yama | 2014-10-13 23:55 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-233 (南吉生誕101年-86)

帰ってきた「ででむし詩碑」-6
南吉生誕100年-リーフレット-49(2013.10)

チラシの方もやっと1年前の時期に追いついたので、久しぶりに(帰ってきた「ででむし詩碑」)復活です。これまでの流れは・・
(「帰ってきた「ででむし詩碑-1」)
(「帰ってきた「ででむし詩碑-2」)
(「帰ってきた「ででむし詩碑-3」)
(「帰ってきた「ででむし詩碑-4」)
(「帰ってきた「ででむし詩碑-5」)をご覧ください。
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ところで昨日(2014.10.5)は安城市歴史博物館にて、恒例の「安祥(あんしょう)文化のさとまつり」があり、現在取材させていただいている、「新美南吉に親しむ会」さんの朗読発表会がありました。

演目は『「幻の弥厚伝」~完成されなかった弥厚伝の足跡~』です。来年は明治用水を考案した都築弥厚の生誕250年ということで、安城高女時代に都築弥厚伝を書こうとして、病のためついに果たせなかった南吉の苦悩の日々を、日記、書簡などから抽出し、群読により披露されていました。(写真参照)


ということで「親しむ会」さんは、毎年この「安祥文化の里まつり」において、南吉関連の発表をされているのですが、実は昨年の発表会は当ブログのサブテーマである、『帰ってきた「ででむし詩碑」』と大いに関係があるのです。
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そう、それはちょうど1年前の本日(2013.10.6)のことでした。「親しむ会」さんのその日の発表は、なんと「お帰りなさい! ででむし詩碑」だったのです。

f0005116_23314683.jpgおさらいをかねて、「ででむし詩碑」の事を書くきっかけとなった、小野敬子著「新美南吉 詩碑の散歩道」(写真)を再度掲載します。

その中には南吉の没後、「ででむし詩碑」が女学校の同僚や教え子たちによって建立され、後に女学校は県立安城高校となり、校舎の新築に伴い詩碑が移転していった経緯が、当時発作したばかりの「新美南吉に親しむ会」の会誌、「花のき」第2号の記事を参照して書かれていました。

しかし残念ながら、詩碑をゆかりある元の場所に残そうとする、「新美南吉に親しむ会」さんの陳情(昭和54年)は実を結ばず、詩碑の里帰りは教え子たちの悲願ともなっていったのでした。

そして昨年の「南吉生誕100年」を機に、詩碑が元の女学校の地(現・市立桜町小学校)に戻ってくることを知った私は、この碑の誕生から帰還の物語を、いつか書こうと思っていたのでした。
ということで、すでに詩碑は昨年元に戻りましたし、あらすじも紹介できましたので次回からは、細か~い話になっていきます。(つづく)
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さて話は変りますが、昨年の生誕日のリーフレット、昨日から半日がかりでやっとA4クリアファイル3冊に収めました。

すでに半分くらいはブログ掲載のため、整理してはあったので楽勝だと思ったのですが、残りの山を整理し出したらこれが中々。(一度収めたチラシの順番を、何度も何度も入れ替えていたので・・)

そしてあらためて、パソコンに収めた写真の整理をしていたのですが、これが何とも生誕100年を伝えきれずに、ディスクのこやしになっていること。(笑)
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掲載したリーフレットは、前述した「安祥文化のさとまつり」(2013.10.6)の午前に行われた、半田市/阿久比町ライオンズ&ボーイスカウト主催の、「ごんの尻尾を追え!」のスタンプ用紙(表)となります。

その内容は半田市と阿久比町にある、南吉関連のスポット8ヶ所のクイズに答えてゆくスタンプラリーになっています。
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ということで人数が集まり次第、受付のある南吉記念館前を出発です。写真には写っていませんが、ゆるキャラごん吉くんに見送られての出発です。
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おどろくことに矢勝川に、この日限りの仮橋が出来ていました。実は対岸にあるごんぎつねの住み家の権現山に行くには、かなり大回りとなるとのことでの主催者さんの配慮なのでした。
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というわけで、全10スタンプ制覇です。(途中で木で作った、素朴なグッズ、参加ワッペンが貰えました)
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by ttru_yama | 2014-10-06 12:46 | 新美南吉