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0910-「20世紀少年」の町-223 (南吉生誕101年-76)

帰ってきた「ででむし詩碑」-5
南吉生誕100年-リーフレット-39(2013.7)
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さて1年前の今日(7/27)は、安城高校にあった「ででむし詩碑」が、もともと詩碑のあった「安城高女の地」(現・桜町小学校)へ里帰りした日で、まさに「帰ってきたででむし詩碑」のタイトル通りの日なのでした。

ということで写真(外枠、2013.4.3撮影)は、里帰りする以前の桜町小学校の「南吉のうた」庭園の様子で、ごんや兵十とともに「安城高女址碑」があります。この写真で「ででむし詩碑」が戻って来る場所は、兵十の背後にある笹竹のしげみ付近で、安城高校から移設工事のため、ここには6/13に戻ってきたのでした。(内枠写真・除幕式前の6/18撮影)
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そしてこちらが、7/27の除幕式典の様子です。残念ながら私は都合がつかなかったので、桜町小学校さんに写真をお願いしていましたところ、ご覧のようないいアングルの写真もお借りできたので、除幕前後の写真と組合わせてご紹介します。

この除幕式には今から約65年前、病没した南吉先生を偲ぶため「ででむし詩碑」を建てようと、建碑費用を出し合った当時の安城高女の同窓生も招待されました。1979(S54)年3月、不幸な出来事で詩碑が移動されて34年。
以降彼女らの切なる願いは、自分たちの建てた詩碑が元々あった安城高女の跡地に戻されることでした。そして「新美南吉生誕100年」を記念する昨年7月、ついに「ででむし詩碑」が帰ってきたのでした。(といいながら、このお話は終わりではなく、まだ始まったばかりです)
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そしてあとはいつも通り、リーフレットをペタペタ貼っていきます。まずは安城市の特別展「南吉が安城にいた頃」(安城市歴史博物館/2013.7.20-10.6)前回半田市のチラシの時に言い忘れましたが、半田・安城共、お互いの主要展示館の日程を入れて印刷してあります。
そして裏面のイベントスケジュール、びっしり満載です。
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安城市主催ですが、半田市の新美南吉記念館、南吉生家もコースに入っている「南吉探訪スタンプラリー」(H25.7.20-10.6)です。
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こちらは半田市の夏休みの子供向けイベント、「キッズワークショップ」フェスティバル2013」(記念館他会場、7.22-8.25)ほぼ体験型イベントです。
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半田市雁宿ホールでの「南吉童話絵本原画展」(H25.7.20-8.4)。著名絵本作家の競演ですが、とくに黒井健さんの書下ろし作品の、ふるさと岩滑の叙情画に注目です。(実物はA4の3枚折りなので、ブログ画像では、この絵のページが重複しています)
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by ttru_yama | 2014-07-27 22:15 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-222 (南吉生誕101年-75)

帰ってきた「ででむし詩碑」-4
南吉生誕100年-リーフレット-38(2013.7)

f0005116_8593367.jpg南吉の安城高女への就職がなければ、「ででむし詩碑」も存在しなかった。いやそれどころか新美南吉自体が、世に知られることもなかったでしょう。

S13(1938)年3月6日、南吉は中学時代の恩師・遠藤慎一先生と佐治克己先生(写真/新美南吉記念館展示資料より)の働きにより、安城高女への就職が内定したことを知ります。
特に佐治先生は、前年に津島高女から安城高女へ校長として赴任して来ており、南吉の安城高女への就任については、一番大きな力となりました。

この先「南吉生誕100年-69」でも少し触れていますが、佐治校長はS15(1938)年5月、刈谷高女に異動するまで南吉とともに2年間、安城高女で過ごしました。
また、佐治校長は家が南吉と同じく半田なので、通勤でも一緒になることがあったようです。

そして一教え子から同僚までになった、こういった佐治校長と南吉との関係が後に南吉の死後、「ででむし詩碑建立」のきっかけになっていったように思います。

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もうひとつ安城高等女学校時代の教職員写真(S13~14/新美南吉記念館展示資料を画像加工)に、南吉と大事な人の写真が写っています。(ことのついでに言うとこの写真には、何故か佐治校長は写っていません)
写真は分かりやすく〇で囲ってみましたが、上段の列に新美先生(南吉)、最前列に同僚の戸田紋平先生の姿があります。

南吉は英語・国語・農業を教え、戸田先生は国語・図画を担当していました。全集9巻-P.230の「職員室近況極あらまし」(S14年度同窓会報)には、趣味の写真に熱中する戸田先生の評を、南吉が面白おかしく紹介しています。この先生が「南吉といえばこの写真」といわれるくらい有名な、都築弥厚翁の伝記に手をかけた南吉写真を撮った先生です。また詩碑建立の基金にと、南吉が特注で作らせた専用の原稿用紙(遺品)を、教え子に買ってもらった話でも知られています。

ということで、今回は「ででむし詩碑」建立の関係者の話でした。
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さて、昨年の今頃のリーフレットのほうですが、まずH25.2013.7.13-10.20に、半田市博物館にて開催された「「狐」長野ヒデ子絵本原画展」です。この展示では絵本「狐」の絵で知られる長野さんの原画と、「狐」の話が載った「最後の胡弓ひき」(S24.1949中央公論社)の挿絵ページ、そして岩滑新田奥組の山車の大幕までもが、至近距離で展示されました。
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そしてこちらは、同じくH25.2013.7.13から、10.20に渡って新美南吉記念館で開催された「新美南吉とふるさと知多半島」展です。なんとこちらのチラシの背景写真も、岩滑八幡社の山車まつりの写真です。

展示では知多半島が舞台の南吉の原稿や、戦前の写真があり、郷土に根付いた南吉作品を展示していました。また私にも懐かしい、知多半島の方言コーナーもありました。(笑)
山車や「狐」に関する話は、「南吉生誕100年-61」にも出ていますのでご覧下さい。
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by ttru_yama | 2014-07-22 12:30 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-221 (南吉生誕101年-74)

帰ってきた「ででむし詩碑」-3
南吉生誕100年-リーフレット-37(2013.7)

f0005116_21415036.jpgいきなり何の写真だろう?と思われるかも知れませんが、「新美南吉と刈谷の会」さんに引き続き、今度は安城市の「新美南吉に親しむ会」さんの、7月定例会(安城市中央図書館会議室)の様子です。

会を取材させて戴いている目的は、もちろん帰ってきた「ででむし詩碑」シリーズに大いに関係があるからですが、まず会の概要を紹介させて戴きます。

f0005116_00112526.jpg「会のあゆみ」によれば、発足はS52(1977).1 からで当時会員は30名(H25.7現在20名)とあります。
写真は結成の翌年のS53.5に発行された、会の創刊号「花のき」ですが、投稿記事などからみると結成のきっかけは、S50年安城市立図書館主催で「新美南吉に親しむ講座」が開催され、さらに翌年「文学講座」があり、その後希望者を募って会が発足したもようです。

「花のき」の挿絵は当初からの講師であった、神谷素光氏(故人)によるもので、上段の写真にて会の主要な方を紹介しますと、石川勝治氏(中央左)、当初からのメンバー・尾関文啓氏(左端)、元・会長の神谷昭平氏(中央右)、現・会代表の澤田喜久子さん(右奥)となります。

また、南吉が安城高女にて4年間通じて教えた、19回生の加藤千津子さんも会員となっておられ、話の要所要所にて、生徒の眼から見た新美先生の印象を伝えられています。

f0005116_17262679.jpg ところで、この日の課題は奇しくも「ででむし詩碑」に書かれた詩でした。

ということで当日、記事の進行に沿うような絶妙のタイミングで、尾関先生が『詩碑写真と、一年生第一詩集の表紙「雪とひばり」(右上)及び、その巻頭にある南吉の序文を兼ねた詩(右下)が載った資料』を配布してくださいました。

実はここにある詩が、前回紹介した「ででむし碑のあらまし」の説明にある、「一年詩集の序」詩全文、ということになります。それではででむし詩碑と見比べながら、序文の詩を見ていきたいと思います。

はじめに (「はじめに」は詩の題名ではなく、詩集の序となる意味の前書きで、
       碑文の方では「新美正八」の署名となっている。)

生(ア)れいでて       (生(あ)れ→生まれ)
舞ふ蝸牛(デデムシ)の    (蝸牛→でんでんむし、かたつむり)
触角(ツノ)のごと
しづくの音に
驚かむ
風の光に
ほめくべし       (ほめく→火(ほ)めく、熱(ほめ)く、ほてる、
花も匂はゞ        熱くなる)
酔ひしれむ

(あと、碑文には「昭和一四年二月」と、「雪とひばり」の発行年月がある)
・・と、この詩は生徒に向けた「感性を素直に伸ばしていってほしい」という、新美先生のメッセージなのでしょうね。また次回です。
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さて、南吉リーフレットのほうですが・・。f0005116_21130501.jpg昨年のこの時期、南吉の記念切手が発行されました。

右は全国区で発売された「新美南吉 生誕百年記念切手」(2013.7.2発売、1200)で、生家や記念館及び周辺の景色が切手になっています。

左は安城市のみで発売された(と聞きましたが)同じく「生誕百年記念切手」で、ご覧のように安城市内のウォールペイント」が切手となっています。


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by ttru_yama | 2014-07-13 22:00 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-220 (南吉生誕101年-73)

帰ってきた「ででむし詩碑」-2
南吉生誕100年-リーフレット-36(2013.春?~/2013.7)

f0005116_22352752.jpg私が安城市にある「ででむし詩碑」について、興味を持つようになったきっかけは、詩碑巡りをしようと、小野敬子著「新美南吉 詩碑の散歩道」を読んだことから始まります。

その「ででむし詩碑」は表紙カバー写真にも出て来ますが(左写真右上)、「南吉詩碑第1号」(S23.11建立)だけあって、本文の第1章から登場します。

ちなみに「詩碑第2号」は左側の、半田市雁宿公園にある「貝殻碑」(S36.12建立)で、新美南吉顕彰会によって建てられました。(残りの右下写真はずっと後の、河和小学校にある「石何年」碑)

ということで安城市の古くからの南吉ファンは、ででむし詩碑が生誕地の半田市より13年も前に詩碑が出来たことを、少し誇りに思っているようです。

f0005116_20164809.jpgもう少し大きい写真ということで、こちらは詩碑が安城高校にあった頃のもの
(2012.11)
です。

左にある小さいのが副碑で、「ででむし詩碑」が昭和54(1979)年3月、この地に移転した後の6月に建てられ、もともと彫りがうすく文字が分かりにくかった主碑の、表面に刻まれた内容を伝えています。(詩の詳細はまた次回に)

そして「詩碑の散歩道」にある「ででむし碑のあらまし」ですが、

①場所 愛知県立安城高等学校
②建立 昭和23(1948).11.20
③寄贈者 安城高女の同僚および教え子有志
④筆蹟 古寺一華(当時の高女書道教官)、出典 「一年詩集の序」詩全文
とあります。

このあたりを、次回からもう少し詳しく見てゆこうと思います。
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f0005116_21480195.jpg引き続きリーフレットのほうですが、この貨幣セット「手ぶくろを買いに」は2013.8.25 (南吉生誕100年-28)
に載せてますね。

貨幣セットの中身の詳細も、その中に掲載していますのでよければご覧ください。
f0005116_22074383.jpg(あいにくの曇り空で何にも見えませんが)、そういえば今日は七夕でしたね。
ということで昨年7月7日の「南吉さんのほたる祭」のリーフレットです。

私は行ってませんので検索してみましたら「南吉さんのほたる祭は終了いたしました。
たくさんのご参加ありがとうございました。」

というページがありましたので、雨にならず無事開催されたようです。

南吉作品で「ほたる」が出て来るのは「木の祭り」でしょうか。きれいに花が咲いた木を取り巻いて、昼は蝶々の群れが夜にはほたるの群れが集まって、華やかで幻想的な木の祭りが繰り広げられます。


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by ttru_yama | 2014-07-07 23:10 | 新美南吉