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0910-「20世紀少年」の町-206 (南吉生誕101年-59)

南吉生誕100年-リーフレット-21(2013.3)

f0005116_8142858.jpg今日のリーフレットは、「新美南吉生誕百年 没後七十年記念 五木寛之講演会」(2013.3.24 半田市福祉文化会館)です。(演題は「青い鳥のゆくえ」)

会場ロビーではごん吉くんのお出迎えがあり、南吉童話や半田のお土産のブースも出て賑やかでした。

また講演後には五木さんの、サイン入り著書も販売されていました。

五木さんは地元中日新聞に、「親鸞」を連載しており、南吉童話は「きつね三部作」を読んだ程だと話されていましたが、さすが人気作家の講演だけに多くの観客が詰めかけました。

f0005116_837784.jpg(こちらが講演前の舞台の様子です)

さて五木さんは、「こんな三文文士」「南吉や南吉作品の全体像は知らない」のに、どうしてこの場に招ばれたのか?」(故に)「言いまちがいもあるかも」としながら、同じ作家としての観点から見た「南吉作品」の話をされました。

五木さんによれば(自分も南吉も含め多くの作家の)作品には無意識のうちに意図しない部分が現れると言います。(時にすぐれた)作品が出来た場合、それは天からの授かりもので才能の問題では無く、その選ばれた作家の体を通して表わされた、「天からの声」だと言います。

この言葉等は確かに不朽の名作「ごんぎつね」や、「手ぶくろを買いに」などを読んでみると、南吉でさえも同感するのでは・・、という気さえします。
僭越ながら自分に照らし合わせてみても、書く内容やレベルの差異はあれ、「思いのほか今日はうまく書けた」とか、「思わぬ結論に導けた」と思うことに極たまに遭遇します。これなどは偶然の導きなのでしょう。

五木さんは、金子みすゞ、釈尊、親鸞、賢治の話を取り上げながら、南吉作品、人間南吉、果ては人間のエゴまで見つめていきます。ここからは南吉ファンから抗議を受けそうですが、(ご自身も含め)作品と作家はイコールではない、と言います。

つまり優しい作品を書くからといって、その人の実像とは違うこともある、ということです。むしろ嫌な人ほどいい物語を書くとさえ言います。これなどは「親鸞」の言う「悪人正機」につながるものかも知れません。
(ここで思うのですが、おそらく五木さんは南吉の日記を読んでいて、人間南吉、果ては多くの人間が内面に持つ、そのエゴの部分を分析して言われたのではないでしょうか)

そしてラストは演題の「青い鳥のゆくえ」です。
(青い鳥」の物語は)幸せはつかんだ瞬間に無くすもので、良かったよかったで終わっていない、と指摘します。

そして、このあたりが南吉の「手ぶくろを買いに」で「母さん狐」が言う、「人間ていいものかしら」の、単なるハッピーエンドでないエンディングに共通するものだと言います。「全ての人は悲しみを背負っている」のです。そしてこんな作品を100個書くうちに、一つ残せたら素晴らしいことだと結ばれました。

※註) 1年も前のミミズの這ったようなメモを読み返して書いていますので、ひょっとしたら五木さんの意図した話と違うかもしれません。あくまでも私の感じた内容ということでご理解下さい。

f0005116_8471864.jpgということで、長くなりましたので、今回の「新美南吉と刈谷の会」さんの話は次回に持越しです。

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by ttru_yama | 2014-03-30 22:30 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-205 (南吉生誕101年-58)

南吉生誕100年-リーフレット-20(2013.3)

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今回のリーフレットはちょうど1年前の2013年の3月22日(金)の「新美南吉 没後70年 南吉を偲ぶ会」(岩滑小学校 体育館)のリーフレットです。早いものでもう1年も経ってしまいました。今年と同様まだ肌寒く、会場の所どころには石油ストーブが置かれていました。
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・・と、こちらが裏面のプログラムの内容です。このあたりのことは、「 南吉生誕100年-12」の後半に少し書いておきましたので参照ください。

翌日の中日新聞の記事によれば、『来場者四百人が南吉の写真を掲げた祭壇に花を手向け、胡弓の演奏や子どもの群読などに耳を傾けた。』とあります。
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そして「新美南吉と刈谷の会」さんの3/16(日)定例会ですが、南吉が最初の恋人「木本咸(みな)子」さんに失恋し、失意のどん底にいた昭和10年8月~12月までの話を、水野先生がお話されました。

失恋とは書きましたが、もともとは南吉の優柔不断な性格から来たもので、自業自得といった面もあるのですが、水野先生はそのあたりを南吉のいろんな文章から、解説していかれます。
そんなテキスト資料中に、「去りゆく人に」という文章があったのですが、(本題からは少し外れるものの)、受講者さんから興味深い指摘があったので紹介したいと思います。

それは「去りゆく人に」の詩が、「由紀さおりさんのヒット曲<手紙>によく似てますね。」ということでした。まず南吉作の「去りゆく人に」のある部分です。

『二人の椅子は/ つぶして燃してしまはう』
『二人で飼つた小鳥は/ 窓をあけて逃がしてやらう』


とありますが、なかにし礼さん作詞の「手紙」の歌詞の中の部分を引用しますと・・

『 二人で育てた 小鳥をにがし/ 二人で書いたこの絵 燃やしましょう』という箇所が出てきます。
もちろん、戦前と戦後で時代がかけ離れており全くの偶然なのでしょうが、生きていたら南吉っあんに見せてあげたいくらいです。(笑)

こんな楽しい「新美南吉と刈谷の会」さんの講座、一度見に来られてはいかがでしょうか。定例会は、毎月第三日曜日の午前10時から行っています。お問い合わせは刈谷市東部市民館(0566-23-9138)ヘどうぞ。(日頃お世話になっているので、宣伝させてもらいました。)
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by ttru_yama | 2014-03-21 23:00 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-204 (南吉生誕101年-57)

南吉生誕100年-リーフレット-19 (2013.2~3)

同時進行している記事の紹介のため、タイトルのリーフレット№だけがカウントアップしていますが、このページは本来 南吉生誕100年に見かけたリーフレットの紹介と、それに関連したイベントの取材記事を掲載しています。そこで、久々に元に戻って昨年2013.2.23-3.31に、静岡市美術館で開催された「ごんぎつねの世界展」のリーフレット紹介です。
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もちろん静岡までは行っておりませんので、チラシから読み取れる範囲での内容紹介となります。
それからすると、「南吉生誕100年-リーフレット-1」で紹介したような、絵本原画展と同様な感じのようです。それでも関連イベントで講演会や、朗読会、アニメ「おぢいさんのランプ」の上映などがあって、静岡でも生誕100年を祝ってくれている所がうれしいことです。
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そしてこちらが2013.3.20、安城市文化センター(マツバホール)にて開催された「新美南吉 没後70年記念式典~南吉先生を偲ぶ会~のチラシです。
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当日は神谷市長の挨拶の後、安城高女の校歌が斉唱され後継である安城高校生徒有志により、南吉作品「ガア子の卒業祝賀会」の朗読劇(写真参照)が披露され、映像で南吉の安城高女時代の写真、そして現在の安城ウォールペイントなどの様子が映し出されました。

また会場には、南吉の教え子であった安城高女の卒業生も招待され、式典の途中で21回生の中村さん、山田さん、19回生の山崎さんが先生の思い出を語られました。
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そして今回の「新美南吉と刈谷の会」さんの話は、南吉日記から少し外れますが、この3/5に代表の酒井さんが、母校・刈谷南中学校の校歌誕生60周年記念式典に行ってきたという話です。(以下南中校歌)
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さて今を去る60年前、当時の刈谷南中学校には校歌が無く、そんな矢先、たまたま南吉の兄弟子である巽聖歌が南中を訪れ、その際に学校長から校歌の作詞依頼がなされたのでした。

というわけで聖歌が校歌の作詞をし、コンビを組んでいた作曲家・平岡照章により、「見よ近代の工業の・・」から始まる南中の校歌が、昭和29年に誕生したわけです。
この当時2年生だった酒井さんは、10年前の校歌制定50周年の際、「新美南吉と刈谷の会」代表ということで母校に出向き、校歌制定の経緯を知らない後輩たちに当時の経緯を伝えたのでした。

この中学生の頃の酒井さんは、母ムツさんから「親戚にえらい人がいた」と、南吉の話を聞いてはいましたが、後の自分が今のように南吉に関わっていくとは思わなかったそうです。別件ですが、後に酒井さんは巽聖歌に手紙を書いたこともあるといいます。
(まあ、そのあたりも含め詳しい話は、いずれ酒井さんが書かれると思いますので、楽しみに待ちたいと思います)
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by ttru_yama | 2014-03-17 01:04 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-203 (南吉生誕101年-56)

南吉生誕100年-リーフレット-18

ですが先週の「南吉壁画ペインターズ作品展」の続編で、まずこの南吉壁画をご覧ください。
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実物は安城駅西駐車場のでかい壁画のななめ右にある、日通安城倉庫の壁面に描かれています。そして、この絵の中に以下のようなパートがあります。
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ここで画面下部にいる、帽子を被った南吉っあんの周囲(赤枠部)にご注目ください。この下絵パートを右上の枠に切り出してみました。

そこではタヌキやごんごろ鐘が、下絵の上に切り貼りされていて、なんと下絵の原画においては、人物群はまだ黒い影で描かれています。そして人物群が指差しされていますが、この指差しをしているのが、実際の人物群を描いた、アーティストのYumi Hashitomiさんになります。

Hashitomiさんは、ふだんはチョークアート作品を描いていて、壁画の絵とは全く異なるファンタジックな作品を描いていますが、ことこういうグループ制作の場面では、いわゆる南吉壁画タッチの絵に仕上げています。

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さて、ここからは本題の「新美南吉と刈谷の会」さんの話で、いよいよ代表の酒井さんが赤ん坊だった頃、南吉日記に登場する場面です。
ちょうど安城駅西駐車場の壁画の「みち子さん」のパートには、うば車に乗った赤ちゃんとお母さんが出ていますので、話の背景として使わせてもらいましょう。

南吉童話「ミチコサン」は、ミチコサンが小鳥屋の前で、うば車に乗った赤ちゃんを抱っこさせてもらうという昭和7年頃の作品ですが、南吉日記の方は昭和15年2月28日の記述となります。南吉は2月24日刈谷の女学校の音楽会に来ていますが、そのあと路上で酒井さんの母・ムツ(むつ子)さんに呼びとめられます。この頃酒井家は刈谷に住んでいました。

『別の道を歩いてゐると「兄ちゃん」と呼ばれた。むつ子さんだつた。・・去年の四月に生れた双生児の一方が乳母車にのつてゐた。・・双生児は二人とも丸々と太つて貧乏らしい様子を持つてゐなかつた。男の子を豊といひ、女の子を富子というふ、つまり豊富ぢやと叔父さんがいつた。』

ということですが、私はこの「丸々と太って」というところが、なぜか気に入っています。(笑)
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by ttru_yama | 2014-03-10 22:40 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-202 (南吉生誕101年-55)

南吉生誕100年-リーフレット-17

・・ですが、その前に今安城市で開催中の「南吉壁画ペインターズ作品展」(2014.2.15.-5.6)の話をしたいと思います。
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以前「南吉生誕100年-リーフレット-7」にて、「南吉壁画(ウォールペイント)」の話をしましたが、この作品展は安城市内の壁に、南吉の壁画を描いたアーティストさんの展覧会で、2.28-3.12はYumi Hashitomiさんの作品とともに、南吉壁画の原画も展示されています。

ここに掲載した写真は最大の壁画である、安城市駅西駐車場での製作途上の様子で、安城市のプロモーションビデオ用に仕上げた、「YA'2」さんの動画よりお借りしています。(つづきはまた次回)

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そして、「新美南吉と刈谷の会」さんの話に戻りますが、再度、代表の酒井さんと南吉の関係図から始めます。
酒井さんによれば南吉日記には、酒井家に関した記述が何十ヶ所も出てくるといいます。

その昭和4年の日記で「一宮」とか、(半田の)「山方新田」という記述が出てきますが、全集の「語注」にもあるように「一宮」は当時酒井家が住んで居た場所で、「山方新田」というのは酒井家の長女「よね」さんや次女、「とき」さんが嫁いだ岩部家があったところです。(関係図と記述を更新修正しました)
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その後酒井家は刈谷に移リ住むのですが、酒井さんも一宮の家は生まれる前なので、記憶がないそうです。
ただ南吉日記によれば、一宮市内の「真清田(ますみだ)神社」付近にあったようで、9月27日の日記に同神社を懐かしむ記述が出てきますので、所用で行ったとき撮った写真を載せておきます。

次回はいよいよ、酒井さんが生まれた頃の記述が出てくる、昭和15年の南吉日記を見てみたいと思います。
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by ttru_yama | 2014-03-02 09:00 | 新美南吉