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0910-「20世紀少年」の町-201 (南吉生誕101年-54)

南吉生誕100年-リーフレット-16

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さて、写真は先週すでに登場して頂きましたが、南吉「刈谷周辺マップ」を持つのが「新美南吉と刈谷の会」代表の酒井豊さんです。
これまでも酒井さんと南吉との関係を、「従兄」と説明させてもらっていますが、少し関係図を作ってみました。(関係図を更新修正しました
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上段が渡辺家で、南吉(新美正八)は父・多蔵さん、実母(先妻)りゑさんとの間に生まれました。南吉4歳の時りゑさんが亡くなり、後妻に入ったのが酒井家の五女・志んさんで、多蔵さんとの間に5歳年下の益吉さんが生まれています。

ことのついでに南吉日記から読み解くと、この兄弟、実に仲が良くほほえましい関係でした。南吉は弟を愛称「マスキー」といって可愛がり、時に自分の死期を感じた南吉は、弟に遺言のようなものを書いているくらいです。

そして下段が酒井家で、志んさんは酒井新三郎さんの五女として生まれ、ここには日記に登場する姉のときさん、弟の熊之丞さんとその妻・むつさんの名前も挙げさせてもらいました。ということで熊之丞さん夫婦の間に生まれたのが、南吉とは26歳年下となる、豊さんと富子さんの双子の兄妹なのでした。

このあたり「刈谷周辺マップ」の説明文(南吉日記より抜粋)にも出てきますので、また次回にでも見ていきたいと思います。南吉は生まれた頃の酒井さんのことを、どんなふうに書いていることでしょうか。私には今の恰幅のいいお姿と、あまり変わってないような気がするのですが。(笑)
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by ttru_yama | 2014-02-24 12:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-200 (南吉生誕101年-53)

南吉生誕100年-リーフレット-15

・・ですが今日は「新美南吉と刈谷の会」さんの、第278回定例会の様子を紹介しますが、なかなか面白い展開となりました。
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本日の水野先生の作品鑑賞は、幼年童話から「ひとつの火」「去年の木」の比較から始まる、南吉作品の深層を追求するお話でした。

ついで2つの詩「春風」と「弟」では、南吉の家族に目を向けましたが、特に「春風」では4歳で死別した母「りゑ」さんと夭死した兄の正八さんが、不思議かつ幻想的な登場をしますので、おのずから継母である「志ん」さんとの対比にも話が及んできます。

ところで、今日はここで二つの偶然が起こりました。一つは代表の酒井豊さんが、1月20日から中日新聞夕刊に掲載されている、梅原猛氏の「新美南吉の童話」シリーズの記事を持ってきたことです。
その梅原猛氏の記事は、自身も生母が亡くなり伯父夫婦に預けられた状況と、同じく知多弁のなかで育った境遇に、南吉に共感する思いを述べているのですが、偶然にも記事の中に「春風」の詩が登場してくるのです。

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そしてそこへ遅れて入って来られたのが、「南吉生誕100年-36」<南吉の舞台劇と朗読会>にて紹介しました、安城出身の女優・石川恵深(えみ)さんなのでした。

ということで、急遽酒井さんから石川さんにその新聞があてがわれ、時ならぬ新聞記事の「朗読会」が始まったのでした。もちろん読み終えた石川さんには惜しみない拍手が送られ、偶然でしたが内容の濃い時間を過ごすこと出来たのでした。

水野先生の鑑賞作品の選択、酒井さんの日頃の資料収集、石川さんの登場と、役者が揃うとこういう偶然を引き起こすのですね。(笑)
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by ttru_yama | 2014-02-16 23:00 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-199 (南吉生誕101年-52)

南吉生誕100年-リーフレット-14(2012.7~)

・・ですが、今回は「南吉生誕100年-20」にて紹介しました、食酢の製造で知られるミツカンさんの「グループ本社地区再整備プロジェクト」の状況です。
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左の重機「ユンボ」のある場所は、昨年11月10日をもって一時閉館となった「博物館 酢の里」の入り口付近ですが、工場も博物館もすっかり解体され、2015年秋の完成に向け工事が行われています。

(ところでこの付近で昨年12月5日夕刻、大きな火事があり寿司店、焼き肉店、人形店等、4軒ほどの店舗が全焼しました。不幸な事故でしたが、幸い亡くなった方はいませんでした。記録として残しておくことにします。)

さて「新美南吉と刈谷の会」(酒井豊さん代表)さんの、リーフレットにある南吉の年譜に戻りますが、大事な個所を赤枠で囲みました。
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まず大正6(1917)年11月4日に生母の「りゑ」さんが亡くなり、翌大正7年4月、父再婚 継母・志ん(酒井家)同居、翌大正8年2月12日入籍、2月15日、弟・益吉生まれる、とあります。

そう、会代表の酒井豊さんは「志ん」さんの実家・酒井家の当主で、志んさんの甥にあたります。そして次の赤枠ですが、昭和3(1928)年12月(中学3年)、「兎の耳」に投稿し入選、賞品として大西巨口著「三人呑兵衛」の童話集が届き、「蔵書番号第壱号」と書き込む、とありますが、「蔵書番号第壱号」と記されたその童話集を、形見として従兄である酒井さんが所蔵されています。

f0005116_14594266.jpgその少年少女雑誌「兎の耳」を主宰する、大西巨口から送られてきた「三人呑兵衛」の本のことも、このリーフレット内に載っています。

南吉はこの本にわざわざ「蔵書番号第壱号」と、書き込みをいれるほど嬉しかったわけですが、残念ながらその昭和3年12月の日記は存在していないので、この冊子やその本への南吉の書き込みは貴重です。
そして南吉は本を貰った翌月の、翌昭和4(1929)年1月より日記を書いており、すでに「兎の耳」へ投稿していた様子が書かれています。
『朝、大西麟(巨口)宛にペン画「雪の朝」を送る。その裏に、「兎の耳の挿絵を書かせよ」と記す。』(1/3)
『榎本茂久に「兎の耳」新年号を借りた。余の童話「づいっちょ」がのっていたので、母、弟、父に見せた。此奴の賞は去年の師走に貰った。』(1/18)
『童話「チン・カム」童謡「枯野」及び昨夜書いた剣戟画を「兎耳」に投書す。』(1/20)

などとありますが当時南吉の小遣いは乏しく、投稿作品が載った月の雑誌でさえ買えずに、ほとんどの投稿雑誌は、友人から借りて読んでいたようです。それゆえの「蔵書番号第壱号」ということでもあったわけでしょう。
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by ttru_yama | 2014-02-10 16:45 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-189 (南吉生誕101年-51)

南吉生誕100年-リーフレット-13(2012.7~)

・・ですが、振り返りついでに去年と今年の、街の様子を見てみたいと思います。
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写真は名鉄半田駅から、半田市の市民交流センターや観光案内所も入っている、「クラシティ半田」ビルへの連絡通路ですが、昨年は「新美南吉生誕百年」の横断幕や幟が(これ以上に)飾られていたのですが、現在は外されています。

また左後方のビルの窓には、(ちょっと木陰ですが、)南吉の半身写真が貼られていましたが、最近になって撤去されました。(右下枠の写真が2/2現在の連絡路の写真です)
まあ撤去されるのは、当たり前と言えば当たり前なのですが、昨年の賑やかさを知る者には一抹の寂しさを覚える半田市の風景です。(そんな写真も、これから載せていこうと思います)

さてチラシの方ですが今日は、一昨年(平成24年7月)、「新美南吉と刈谷の会」さんから刈谷市の学校向けに、また市役所や図書館に配られて一般にも無償配布されていた、「新美南吉日記より 刈谷周辺マップ」なるものを紹介したいと思います。

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というわけでこちらがそのマップになりますが、片面が3枚続きのA4紙面を3つ折りしています。
もう少し説明しますと、左の南吉写真のある方が表紙で、右のページは表紙の下に折り込まれたページになります。
そしてこの表紙ページにあるのは、南吉の投稿童話が載った、昭和7(1932)年の「赤い鳥」1月号にある「ごん狐」(現代版では「ごんぎつね」)の書き出しページです。

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そしてこちらが3ページを見開きにした、刈谷市内のマップ部分です。ここでは南吉が訪問したり、日記に記述されたことのある建物の位置図が、現代との比較写真付きで掲載されています。

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そして残りの部分は、マップに登場する南吉日記の記述を抜粋した部分(左ページ)と南吉の年表(右ページ)となっています。
・・と今回は概略だけにして、詳細はまた見て行こうと思います。
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by ttru_yama | 2014-02-02 23:30 | 新美南吉