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0910-「20世紀少年」の町-157 (南吉生誕100年-19)

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南吉生誕100年、こうしている間にもイベントや南吉詩碑の移転等、どんどん事が進んでいっており先を急ぎたいのですが、また気になる写真を見かけてしまいました。
まず上は、前々回「20世紀少年」の町-154 (南吉生誕100年-16)で取り上げた、「銀座本町3丁目付近」の写真です。
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そしてこちらが現在(南吉の最初の童話集の装幀も手がけた棟方志功の)「棟方志功ふるさと風景版画展」(2013.6.1-6.30)を開催中の、半田市立博物館の通路に展示されている半田の写真パネルで、ほぼ同じような位置から撮った大正12年の「銀座本町3丁目付近」写真(画像補正実施)です。

ということで、レファレンスにて見せていただいた昭和10年頃の商店街地図によれば、どうやら右の建物は豊場屋(このあたりで豊場屋というと寿司屋のイメージですが)で右の角地一帯を占め、カガシヤはその右隣にあったことになります。(これもまた写真掲載したいと思います) また左の建物は洋品店だそうです。(あくまでも地図と写真とは13年程、時間差がありますが・・)

じゃあ、「この中央の建物って何?」って気になりますよね。ということでこれもレファレンスしますと、明治以来この位置にあったのは銀行で、順番にいえば ①国立第百三十四銀行 → ②明治銀行 → ③愛知県農工銀行(昭和初期) → ④勧業銀行(戦時中) → ⑤中央相互銀行 → ⑥愛知銀行ということだそうです。
ですから南吉の時代の呼称は、主に③、④だったことでしょう。この建物がいつ出来、いつ解体されたかは私には分かりませんが、少なくとも呼称の③④は同じ建物です。つまりかつて南吉も見た、ということでは間違いない建造物です。

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さて、そこからさらに後方に引くと、かつてはこんな景色(2010.8.25)がありました。そう「20世紀少年」の町-43(常滑 中央商店街-7)で取り上げた時の、明治34(1901)年に設立された中埜銀行本店だった建物(当時ミツカン中央研究所(大正14年竣工))です。

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ところが、その建物は現在すっかり解体され(2003.3.26撮影)、跡形も無くなっていたのでした。まあ長くなるのでその話は、また次回にしたいと思います。
(記事が現在のイベント進行に、全く追いつかなくなっております。)(笑)
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by ttru_yama | 2013-06-23 23:30 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-156 (南吉生誕100年-18)

f0005116_17252181.jpgどんどん先へ進みたいのですが、前回(南吉が) 『underZero』 さんのページで、『弟益吉とカガシヤに行った事が日記にも記されている』というのがありました。
そう「20世紀少年」の町-139(江ちゃん里帰り-新・長浜編-5/南吉生誕100年-2)」にて、南吉の出生については書いたのですが、6歳年下の弟・渡辺益吉(ますきち)さん(大正8=1919年2月15日-昭和20=1945年8月1日)について、改めてここでふれておくことにします。
(絵は中学時代の南吉が、益吉さんを描いたもの/新美南吉記念館)

ということで益吉さんは南吉から見れば、腹違いの弟となるわけですがこの二人、実の兄弟のように仲が良く、南吉は弟を「マスキ」と呼んでかわいがり、小学校の勉強も良く見てやりました。
益吉さんも南吉を「兄チャン」(大きくなってからは「兄ちゃ」)と呼び、童話雑誌にたびたび入選する兄を誇らしく思っていました。
そう南吉は自分の作品を、よく弟に読み聞かせていました。ですから益吉さんは、南吉作品の最初の読者でもあったと言えます。

f0005116_2122345.jpgさて南吉が『弟と一緒にカガシヤへ行った。』というのは、東京で就職したものの肋膜炎で帰郷した南吉が、半田で定職にもつかず療養生活をしていた23歳、昭和12年2月15日のことです。
その時弟益吉さんは18歳になったばかりですが、すでに就職し知多郡小鈴谷村(現・常滑市小鈴谷)の盛田酒造に就めていました。この時は益吉さんが歯の治療で、バスで半田に来る用事にかこつけて、カガシヤで待ち合わせをしたようです。(この写真がどのくらい、その時代に近いかは不明です)

その時の南吉の日記を見てみましょう。
『・・かがしの中は田舎の喫茶店としては明るく温かだった。自分は明るさと温かさの中にいる時真の幸福感にひたることが出来るが反対に暗い寒いとこにいるときはもうどうに(も)やりきれない位不仕合せを感じる。それでゆったりした気持ちで弟と話をしていた。ここの常連らしい豚肉屋の若い男が、給仕女をからかっていた。・・』(現代かな漢字他編集)
この後二人は同盟書林(半田の本町にある古くからの書店)に寄り、南吉はサンデー毎日特別号を買うのですが、弟に払ってもらっています。

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さてその後、南吉は安城高等女学校の教師となり、益吉さんは昭和15年2月29日出征するのですが、南吉はこの時日章旗に女生徒の署名をもらい送別しています。ただしこの時は一旦返され、出征は南吉が亡くなった以降のように思われます。

そしてこの慰霊碑は常福院にある岩滑から出征した兵士のもので、英霊名碑に昭和20年の終戦の年、8月1日にフィリピンで戦死した益吉さんの名前が刻まれています。南吉29歳、益吉さん26歳の若さでした。
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by ttru_yama | 2013-06-17 23:52 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-155 (南吉生誕100年-17)

前回は南吉お気に入りの喫茶店、「カガシヤ」の場所を探ってみました。南吉はいつ頃からカガシヤに行き始めたことでしょうか。
これも日記などの資料を全て見ているわけではないので、推測になるのですが、おそらく昭和6年4月、17歳で母校・半田第二尋常小学校の代用教員になって、給料を貰うようになってからのことでしょう。

その翌年4月から4年間、南吉は東京外語学校にて学生生活を送るのですが、東京では文学仲間もでき、喫茶店を利用する事も多かったようです。卒業後は東京で就職するも肋膜炎を患って喀血し、昭和11年11月、23歳のとき療養のため帰省します。
この東京時代、南吉を文学仲間や北原白秋に引き合わせたり、就職や病気の世話までひとかたならぬ世話をしたのが、童謡「たきび」で知られる巽聖歌です。

2回目となる病気療養で帰郷した南吉は、最初こそ両親からいたわられるものの、稲刈りなど家の手伝いも出来ない体ゆえ、数日後にはうとましく扱われます。
そんな時、両親の視界から逃れた場所が「カガシヤ」でもあったようです。
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こちらが南吉記念館にある往年の「カガシヤ」の写真で、写真の説明文には、南吉は「入口の右側に席をとり、静かにコーヒーを味わっていました」とあります。

昭和12年2月、当時写真雑誌の編集者でもあった巽聖歌は、療養中の南吉の事を案じ大阪出張の帰途、南吉の家を訪ねます。その27日の南吉の日記に「カガシヤ」が登場します。
『・・雨の中をまた「かがし」までいって六時近く家へ帰ってくると、店に巽が立っていたので、夢かと驚いた。』

「カガシヤ」についてのネット検索しますと、『おもしろ知多半島』さんの記事にミツカン前の場所から「2004年10月移転」したとあります。
また、『underZero』さんのページでは、旧店内の写真と記事が載せられており、かつての店の様子がうかがえます。
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そしてこちらが、「2004年10月移転」後の「カガシヤ」のあった場所(右側の店舗)で、ミツカンの場所から1ブロック南の道向いにありました。
残念ながら店は経営者の方が高齢となり、かなり前に閉店したとのことでしたが、街灯広告にその名残がまだ残っていました。
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by ttru_yama | 2013-06-10 21:30 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-154 (南吉生誕100年-16)

f0005116_21244225.jpg半田駅前の御幸(メルヘン)通りのシャッターには、以前から南吉作品の絵が描かれています。

これは2008年(末?)から『街かど南吉アート』と称して、半田市の各商店街でそれぞれのシャッターやら、車止めに南吉作品のシーンが描かれています。
(おそらく安城の、ウォールペイント事業よりも早いように思います。そういえば、その安城の方もその後も増殖していますので、またいつか紹介したいと思います。)

ということで、上から「でんでんむしのかなしみ」真ん中が「手袋を買いに」、一番下が「赤いろうそく」なのですが、ここは南吉も歩いた駅前通りなのです。
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さて、その駅前通りは銀座本町3丁目の交差点までつづき、その角には愛知銀行(旧・中央相互銀行半田支店)があります。そして道を挟んで手前側の、白いフェンスはミツカングループ本社の工事中のフェンスです。

ミツカングループでは、現在「本社地区再整備プロジェクト」が、2012年9月より行われており、かなりの範囲で建物の解体工事が進んでいます。
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ところで、話がミツカンの工事フェンスにまで来たわけは、ここに南吉お気に入りの喫茶店「カガシヤ」があったからです。
少し南にある建物の壁に、古い案内板が雨ざらしで残っていました。半田駅が一番上の青枠の位置で、そこから斜め下に辿った茶色の線が駅前通りです。そして愛知銀行(中央相互銀行)付近を、左上に拡大しました。

拡大図のピンク枠が中央相互銀行で、道を挟んだ下側黄色枠に「カガ(ゲ?)シヤ」の文字がかろうじて読み取れます。
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ということで南吉の通ったカガシヤは、この写真の右角(実際には角から2件目)にあったようです。
(つづく)
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by ttru_yama | 2013-06-04 23:30 | 新美南吉

0910-1306 「20世紀少年」の町-153(あいち戦国姫隊・新生デビュー)

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「南吉生誕100年」のつづきが長引きそうですので、すでに5/29新生デビューを果たした「あいち戦国姫隊」の様子を、一回挟んでおくことにします。

写真はその当日一般公開された、名古屋城の本丸御殿玄関の「竹林豹虎図」です。ということで、今年度あいち戦国姫隊は、すでに4月から第1第3水曜日に、江・まつ・おね様三人により名古屋城で、プレおもてなしを開始していたのでした。
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そしてこちらは5/29 二の丸広場において、新たな3姫を迎えての初演舞 冒頭のシーンで、右から新生の「吉乃」「於大」「市」姫になります。
何やらロボットのようにも見えますが、「からくりの姫テクノ」というタイトルの演舞で、山車のからくり人形やぜんまい仕掛けの茶運び人形を、イメージしたものと思われます。
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こちらは演舞終盤の各姫による口上直前の場面です。このあと一人づつ顔を隠した扇をとって、自身の口上を述べるのですが、扇で顔を覆うのが見られるのはフルバージョンの演舞ならではのことです。
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(写真、6/2豊明市・桶狭間古戦場まつり演舞) 実は口上の前に取り入れられた演舞がこちら。EXILE以来有名になったローリングアクションです。他の武将隊でも取り入れられていますが、ゆったりと優雅に円を描く演舞は姫隊ならではでしょう。
とはいえ一番前に立つ我等が江ちゃん、「先頭だし、後ろが見えないのでタイミングが分からないので大変。」と言ってましたね。(笑)
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by ttru_yama | 2013-06-03 22:11 | 「20世紀少年」の町