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0910-「20世紀少年」の町-152 (南吉生誕100年-15)

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こちらは「半田物産館」さんの南吉関連のおみやげ品の一部で、絵はがきやらハンカチ、ストラップが置かれています。そんな中に、「20世紀少年」の町-150 南吉生誕100年-13)の初恋ショートトークにつながるパンフレット資料も置かれていたのでした。

f0005116_532416.jpgということでこちらが、南吉の初恋の人とされる「木本咸(みな)子」さんを紹介した、特別展(2007年/南吉記念館)の時のパンフレットです。

表紙右上写真はもちろん咸子さんで、知多高女時代のものです。南吉とは半田第二尋常小学校(現岩滑小学校)の同級生で、家は岩滑で織物業をしていました。
南吉の中学時代の日記(昭和4年)には「咸子」「She」「我がゔいなす(ヴィナス)」「M子」と書かれ、夢にまで見たことも書かれています。

そして右下の写真が母校・岩滑小学校代用教員時代(昭和6年4月1日~8月31日)の南吉で、学校で咸子さんの弟がいたことも幸いし、7月始めに二人の初デートが実現するのですが、その少し前に学校の理科室の廊下で、同僚の先生に撮ってもらった写真です。

南吉はこの写真に本名の「新美正八」を署名し、「この写真は、骸骨のような顔に写っているが、僕のとてもすきな写真です。」と添え書きし手紙に同封しています。
二人の中はこの後、南吉が東京の外国語学校へ行ってからも続くのですが、東京での喀血を機に病気におびえる南吉の方から身を引いて行きます。

前々回(初恋ショートトークの回)では「文学と孤独を愛する性格を理由に、結婚をこばむようになる」と書きましたが、(実際そういう面もあったかも知れませんが)それは咸子さんに結婚をあきらめさせようという方便でした。
ところで咸子さんは、昭和6年9月から半田第一尋常小学校(現半田小学校)に勤めています。南吉から別れをほのめかされていましたが、あきらめることは出来ずにいました。

そんなこともあってか、南吉もはっきりと別れられずにいた昭和10年3月の春休みの帰郷時、代用教員で交代した時の遠藤峰好(みねよし)先生(写真左下)が、咸子さんに結婚を申し込んだ噂を聞き、真相を確認するため遠藤家を訪ねるのですが、これが日記「峰好君訪問記」にある、同じく初恋ショートトークのレコード観賞時の話です。

ライバルに逆に激励されるという不思議な状況で、ここでも南吉はあいまいな態度で遠藤家を辞したのですが、昭和10年の夏、咸子さんとついに別れる決心をするのでした。
遠藤先生は南吉の2年先輩(学年では3つ上)で、岩滑で庄屋をしていたこともある旧家の長男で、南吉のやっていた同人誌オリオンの仲間でもありました。

遠藤家の一人息子の峰好さんは音楽好きで、岩滑で唯一ピアノを買ってもらっていました。そこで咸子さんもここへピアノを習いに行っていたのです。峰好さんは昭和10年4月より咸子さんと同じ小学校に転勤します。そして咸子さんは8月で退職し、二人は翌 昭和11年3月に結婚します。

以下は南吉が冬休みで帰省した時詠んだ詩です。『わが父は われを棄てしをみな(おんな)が/嫁ぎゆく地主の家の/畳み縫ひたまふ/(・・中略・・)/されど父よ/人な恨みそ/まことはわれのかのをみなを/愛すること少なかりし故ならむ/げに父よ/心して縫ひたまへかし/その青き畳の上に/春立ちかへるころいとなまれん かの/をみなとかれが夫の生活に/よき日あれと祈りつつ』「父」より

畳屋である南吉の父は、家が貧しかったため南吉の方が棄てられたと誤解していたようです。でもここにある「よき日あれと祈りつつ」は、南吉の本心であったことでしょう。
(上記は主に同パンフレット、吉田弘著「新美南吉の生涯」を参考に書きましたが、全集等による具体的な南吉の心情の動き、その年月日などを全て確認していませんので、若干の間違いがあるかもしれません)
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by ttru_yama | 2013-05-29 23:28 | 新美南吉

0910-「20世紀少年」の町-151 (南吉生誕100年-14)

「デルヴォー展」の記事が続いたため、「江ちゃん里帰り」にも戻りたいのですが、「南吉生誕100年」もかなりご無沙汰で、記事が溜まっています。ということで今回から、「20世紀少年」の町-150 南吉生誕100年-13)の続きから始めたいと思います。
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ということですが話の都合で、写真はまずJR武豊線半田駅北に静態保存されているSL・C11265の雄姿ですが、ご覧のようにヘッドマークに「新美南吉生誕100年」のプレートをつけています。
武豊線は東海道線開通に先駆け、明治19(1886)年3月1日に開通、半田駅も同日に開業しました。当時の半田駅はこの写真後方(北側)にあったようですが、明治29(1896)年の拡張工事で、現在ある写真手前側の地に移転しました。
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そしてこちらが現在の半田駅を南側から撮ったものですが、注目すべきはこの跨線(こせん)橋で、明治29年の移転当時のものがまだ現役で使われているのです。
ですから南吉も、この跨線橋を渡って東京の外国語学校へ向い、結核による喀血で失意の下に帰郷したり、その後には安城高等女学校の教師として、毎朝この半田駅から大府駅経由で安城まで通ったのでした。
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さて、その半田駅(写真左奥)から手前東方向に通っている道が、(最近では南吉メルヘン通りともいうそうですが)御幸通りです。
駅前からこの御幸通りを歩きますと信金・銀行、そして商店街へと入ってきて、写真右端に見える半田のおみやげ店「半田物産館」さん前にやってきます。そしてここから前回の「南吉の初恋ショートトーク」の話につながってくるのですが、今回はここまで・・です。(笑)
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by ttru_yama | 2013-05-24 23:29 | 新美南吉

1304 ポール・デルヴォー展-5

それでは、「夜の訪問者(<夜の使者>(1980年)のための習作」(1980)から、みて行こうと思います。「トンネル」(1978)でもみてきましたが、デルヴォーの大作の背後には必ず習作があります。
そしてその正式なる作品は、全体構成は似通っているものの、かなり習作を超えた絵に仕上がっています。

私が今まで観てきた美術展でも、比較するため並べて展示された習作は多くありましたが、このデルヴォー展ほど習作と正式作品の様相が異なったものは、あまり記憶にありません。
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ということで、こちらが正式な「夜の使者」(1980)で、デルヴォー83歳の作品ですが、この年齢にしてこのような溢れ出るイメージの変化、いったい中央にいた黒マントの男は、どうして花のコサージュ帽子の婦人に入れ代わったことでしょう。

そして左後方にいる、デルヴォー作品の狂言回し的なリーデンブロック教授は、彼女に何を話しかけているのでしょうか。ほんとに2つの絵の間に何が起こったのか、デルヴォーに聞いてみたいぐらいです。

ただ画面構成上からいえば、今回は横長画面から縦長画面になっていますが、それは背後の広大なギリシア・ローマ遺跡の奥行きと、中央の女性のやってきた道のりを現す事に成功しています。また習作のごちゃごちゃした人物構成が、縦長画面にすっきりと収まっています。

そして何といっても、(私が「ローの婦人」のポーズと言っている)右端の女性の仕草と、リーデンブロック教授がいることで絵に動きとドラマ性が生まれ、より幻想的な絵に仕上がっています。
くり返しになりますが、デルヴォー作品には有名な「こだま」(1943)のような、いわゆるシュルレアリスム的な絵もありますが、単にその枠にはまらない絵も多いことです。

たまたまシュルレアリスムの時代に影響を受けた作品もあったと思いますが、デルヴォーが影響を受け続けたものはギリシアローマ世界であり、鉄道であり、骸骨やヌードだったように思います。異質なものが同じ空間に同居し、それらが何ともいえず融合する不思議さ。それがデルヴォーが追い求めた風景だったのでしょうか。(おわり)
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by ttru_yama | 2013-05-11 23:00 | ギャラリー

1304 ポール・デルヴォー展-4

f0005116_8562029.jpgこちらの絵ではギリシア建築的な要素は、背後に小さく隠れてあまり前面に出てきませんが、代表作の一つ「トンネル」(1978)です。
トンネルを潜ってやって来た列車が着いたのは、地下駅の広場でたくさんの人々が送迎待ちをしていて、そこからは地上のギリシア的世界に、続く階段があるといった感じにも見えます。

この絵にも「<トンネル>(1978年)のための習作」(同年)があり、画面は縦構成で中央部の鏡に写った像の前には、女の子自身も描かれています。(類似の、横長構成の習作もあります)
その絵では鏡の脇には裸婦が寝そべっていたり、背後でポーズをとっていたりして、少しせせこましい空間でしたが、それが本作では横向き構成となり、裸婦も右手の一人が前面に出てるくらいで、裸婦群像も背景に小さく収まって、そのぶん絵に奥行きが出ています。

この絵の特徴的な少女の鏡像は、鏡のこちら側(つまり少女の目)から見た広場は、あたかも鑑賞者から見た、幻想的な絵の世界を意識させてしまいます。だから前面の一列にならんだ人物の並びが、あたかも絵の世界との境界線のような効果さえ感じるのは、ちょっと深読みしすぎでしょうか。

f0005116_733129.jpgポール・デルヴォーの作品には、同じ様なポーズの絵が時を隔てて出てきており、次にその話をしたいのですが、この「ローの婦人」(1969)がその原点となる絵です。
ローとはフランス国境から10キロ程、北海からも20キロ程にある町の名ですが、デルヴォーは1969年ここより10数キロ北方のフュルヌに家を購入しています。
解説によれば読んでいる本は、「オデュッセイア」のようですが、こんなポーズがその後の絵にも登場します。


f0005116_9132066.jpgそしてこちらが11年後の「夜の使者」なのですが、右の女性のポーズがよく似ていて、私にはデルヴォーのお気に入りのポーズだったのかなと思えるのです。

ということで、この作品についても書いてみたいので、デルヴォー展の感想あともう1回延長です。(笑)
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by ttru_yama | 2013-05-04 10:00 | ギャラリー