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0910-1004「20世紀少年」の町-27(常滑・山車まつり-2)

f0005116_93912.jpg山車が本町にある常滑西小学校前の通りにやってきました。この様子を鯉江方寿像(中央の赤枠)が瀬木天神山から見送っています。鯉江方寿(こいえほうじゅ/文政4-明治34)は登り窯を改造し、明治初期より真焼(まやけ)土管の製造と量産を成功させ、土管の町「常滑」の礎を築きました。

像は方寿翁没後の大正初めに製作され、当初は常滑陶器学校に建てられましたが、大正10年この天神山に移設されました。

f0005116_1005134.jpg祭りと常滑のシンボル・煉瓦煙突の写真を狙って撮ってみました。かつての土管製造等で常滑が賑わっていた最盛期、この旧常滑地区には300から400本もの煙突が空に向けて黒煙を吐いていたと言いますが、その数も2006年には1/10となり、祭りと煙突のある風景写真はなかなか撮りづらくなっています。



f0005116_103599.jpg山車が曳かれてゆく通りの店の前に街角掲示板が置かれ、そんな昔の煙突が煙を吐いている風景写真があったので載せさせていただきます。今も常滑ではこのような写真が店先等に出ていて、当時の様子を伝えています。

f0005116_10474361.jpgそんな写真の中に子供たちを写したものがありました。ケンヂ達の育った1970年代は、もうカラー写真の時代なのでしょうが、常滑のヨシツネやユキジ達の笑顔を想像させてくれます。でも写真には、太ッチョのマルオなんかはいませんね。(笑)
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by ttru_yama | 2010-04-25 11:53 | 「20世紀少年」の町

0910-1004「20世紀少年」の町-26(常滑・山車まつり-1)

f0005116_8424445.jpg思えば今年1月からのハイチ・チリ・青海省と続いた地震を、海外の他人事と思わず、いつか我が身にも降りかかってくる危険信号だと、真剣に考えなかったからかもしれません。「天災は忘れた頃にやってくる」・・、あれは何年前のことだったか、またハードディスクが壊れ、最近3~4ヶ月の貴重な写真が無くなってしまいました。(はぁ~)

でも地震で亡くなった人々の事を思えば、そんなことまだ幸福かもしれません。(近頃の地震はどうして、あまり裕福そうでないような場所ばかりに起きるんだろう・・。とはいえどこで起きても悲劇には違いないのだけれど)

f0005116_9383850.jpgということでまた「EXPO'70思い出のかけら」には戻ってきますが、(何とかセーブ出来た分で)今日は最近の常滑の話題、「常滑山車まつり(4/10-11、春の例祭)」の写真を見ていただきましょう。

常滑市HPによれば常滑には現在20台もの山車があり、春先には山車まつりが行われますが、そのうち旧・常滑と呼ばれる①北条(きたじょう)、②瀬木(せぎ)、③奥条(おくじょう)、④山方(やまかた)、⑤市場(いちば)、⑥保示(ほうじ)地区には、それぞれ①神明車(しんめいぐるま)、②世楽車(せらくしゃ)、③常石車(とこいしぐるま)、④常山車(とこやまぐるま)、⑤常磐車(ときわしゃ)、⑥保楽車(ほらくしゃ)の6台があります。

写真は②の世楽車が、このブログ上で私がケンヂ達の「秘密基地」があったと想定する、カーマホームセンターのある奥条の通り(県道34号線)を通過するところです。とはいっても山車の向こうには、空き地があるだけなのですが・・。

f0005116_9575352.jpgこのあと山車は旧道に入り、家々の軒をかすめる様にして進み、通りには祭り囃子が響き渡り、麾(ざい?/はたきのような指揮棒)を持ったからくり唐子が人々に愛嬌を振りまきます。

(私の中では)ケンヂ達もこんな風景を見て育ったと、想像しているのですが、それにしても日頃の常滑の、どこからこんなに人が沸いてきたことでしょう。地区の人も「子供や若者がこんなにいたのか」と驚いていたくらいです。
(地震の被災者とハードディスクに黙祷して、つづきはまた次回です)
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by ttru_yama | 2010-04-17 10:26 | 「20世紀少年」の町

0910-1003「20世紀少年」の町-25(EXPO'70思い出のかけら-5)

f0005116_21415498.jpg階段を登りつめ、ついに丘の上にやってきました。しかしそこにあったのは、フェンスに囲まれたコンクリートの空き地なのでした。
その空き地の真ん中には、円形に少し草の生えたところがあって、そこがエキスポタワーが立っていた場所のようです。
さて、次はなぜこの丘にやってきたのかを、説明してゆきたいと思います。実は大阪万博には、2種類の常滑の陶芸作品が出品され、その1つがこのエキスポタワーの立つ広場にあったからなのでした。


f0005116_22344647.jpgそこでまず、この場所にタワーがあった時の雰囲気を感じて頂くため、解体時期の写真で廃材が置かれてはいますが、「エキスポタワー写真館」さんからの「貴重な写真」をお借りしました。
写真のようにエキスポタワーの基部には円形の階段があり、その周辺が広場となっていました。そしてその広場周辺に置かれていたのが、当時の常滑の若手美術家集団の造った、大小合わせ100席の「月の椅子」(万博のアメリカ館に出品された「月の石」にかけたネーミング)なのでした。

f0005116_23102935.jpg写真(「広報とこなめ」、昭和45年4月号より)は万博開催年の常滑市の広報に載った写真の1枚で、当時タワー周辺に置かれた「月の椅子」を撮った貴重な映像です。余談ですが「20世紀少年」に登場する万博話と、常滑との関連づけが出来ないかと探していた私は、この写真を見つけ狂喜したものです。

広報記事を引用しますと、『・・エキスポタワー広場に直径2mもある円形の大型椅子から長椅子、三角や四角のものなど100席が置かれ、・・人々のいこいの場として利用されています。』とあります。
先の2005年、当地でも愛知万博が開催され、このとき県内では自治体始め、多くのNPO団体がこぞって参加・出品をしましたが、ここで驚くべきことは40年前の大阪万博に、「常滑」の名をあげようと出品した先人達がいたことです。(その詳細は、また次回です)
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by ttru_yama | 2010-04-10 00:23 | 「20世紀少年」の町

0910-1003「20世紀少年」の町-24(EXPO'70思い出のかけら-4)

f0005116_1425040.jpgでは、今から訪ねるエキスポタワーの場所の位置関係を確認しておきましょう。エキスポタワー(127m/写真中央)は万博のランドマーク、シンボルタワーとして、2003年1月頃まではその雄姿を総合案内所の南の丘に見ることができましたが、解体で無くなったため、この写真はHP「エキスポタワー写真館」さんのページからお借りしています。

「エキスポタワー写真館」さんでは、エキスポタワーの内部や定点観測の写真で、解体の記録をあますところなくつたえてくれていますが、中にはこのブログと関係する、貴重な写真も残されているのです。(タネ明かしまで、それがどんな写真なのか探してみて下さい。「写真館」さんからそれを教えられた私は、ビックリしました・・)

f0005116_2531660.jpgというわけで、実際その丘へ登って途中見上げたイメージ写真を作ってみました。ベースの私の写真に「写真館」さんの写真(赤枠内)を合成してみました。タワーの位置やサイズ・見え方には多少誤差があるとは思いますが、おおむねこんな見え方だったろうかと想像しています。

階段の右手のポールは開催当時、万国旗が掲揚されていたものです。


f0005116_384219.jpg後ろを振り返ってみると、北のメイン会場にある「太陽の塔」が正面にみえました。要するに塔とタワーは、南北に向かい合って建っていたのですが、そんな小高い丘の上に当時エキスポタワーがあり、その右手にはエキスポランド(柵の右側)が眺め渡せたのです。

次回はいよいよエキスポタワーのあった、丘の頂上に立ってみたいと思います。「Expo'70 思い出のかけら」に出会えるまで、もうちょっとです。
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by ttru_yama | 2010-04-03 03:40 | 「20世紀少年」の町