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0910-1002「20世紀少年」の町-18(番外編-TDRで見たもの-1)

f0005116_22504827.jpg今日は「20世紀少年の町 番外編」として、TDR(東京ディズニーリゾート)へ行ってきた感想です。前回TDRへ行ったのは2001年9月にディズニーシーが出来た2ヶ月後のことでした。
9年前のことですが今回と比較してみて、つくづくあの國は楽しいけれど、その一方「オソロシイトコロ」だと実感したのでした。(20世紀少年の「ともだちランド」もそんな面があるけど)

前回は都内の安価なホテルで1泊して「シー」と「ランド」を見たのです。もちろんすでにアンバサダー、ミラコスタという直営ホテルが運営されていたのですが、高価すぎてオフィシャルホテルでさえ手が出なかったのです。

ところが年月とともに世間の流れも、TDRの敷地内のオフィシャルホテルに泊まるということがもはや当たり前となり、今では直営のディズニーホテルに泊まることさえ、ごく一般的となってきています。そしてそれが非常に人気なのです。

というわけで今回財布をはたいて泊まったのが、2008年に出来たディズニーランドホテル(写真はホテルから見たディズニーランド)なのでした。直営ホテルやオフィシャルホテルの「バケーションパッケージ」を選択した方なら分かると思いますが、そこでは「金の力」というものの恐ろしさを目の当たりにします。1回抽選のみでなかなか取れないショーの予約や、ファストパスが数枚、すでに組み込まれているのです。

「えっ、そんなこと常識だよ」って言われるかも知れないですが、その利便性には甘んじながら、何か心からなじめない気持ちもあるのです。ディズニーランドホテルはもちろんディズニーランドの正面にあり、ホテル客は広々とした正面ゲートを占有し、一般客は左右のゲートに別れて入場待ちをします。そして時には一般客より早く入場できる時もあります。

そんなこんなで、「夢の國」で皮肉なことに「資本主義の現実」というものをしっかり教えられたのでした。ただ私はこの國の(単なる)「一口株主」でもあるので、経営的には利潤をあげてもらわねば困るのですが・・。
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by ttru_yama | 2010-02-27 00:17 | 「20世紀少年」の町

0910-12 「20世紀少年」の町-17(常滑 水の旅-1)

f0005116_21435710.jpg(今週末はTDRへ行くので早めに更新を済ませておきましょう。(笑)♪雨雪降るな、風吹くな、予約は早めにファストパス♪)
さて、常滑牛乳さんを訪ねていく途中で、こんな景色に出会いました。
知多半島の背骨には2つの道が走っています。1つは「自動車の専用道」で、もう一つがこの「水の専用道」です。まあ水ですから水路なのですが、一般に「愛知用水」と呼ばれています。

「愛知用水」は実際「20世紀少年」とは何の関係も無いのですが、まあ土地の者としては、「20世紀少年」の壮大な構想と関連して、同じく20世紀における知多半島の偉業である、ということでお許しください。(原作にはオッチョ達が下水道を行くシーンがでてきますが・・。)

f0005116_2225814.jpgこの地図は「水土里(みどり)ネット愛知用水」さんの、パンフレット内にある計画段階の地図(常滑近郊部分をカット)なのですが、かなり古そうな地図です。その証拠に前々回あたりの話に出てきた、「三和村」が載っています。

「三和村」が常滑市となったのは昭和29(1954)年のことですが、「愛知用水」の功労者・知多郡八幡村の久野庄太郎が、大きな河川が無く度々の干ばつに苦しむ知多郡の農民のため、木曽川の水を知多半島に導こうという運動を積極的に始めたのは、昭和23(1948)年の事でした。
(「ともだち」も、こういう立派な事業をすれば良かったものを)

久野は日本のデンマークで高名な、愛知県碧海郡安城村の県立農林学校初代校長の山崎延吉始め、地元有識者、篤志家に意見を求め、自らも独自で実施測量を行い、その努力はついには農林省の現地調査へと道を切り開くのでした。(つづく)
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by ttru_yama | 2010-02-18 23:48 | 「20世紀少年」の町

0910-12 「20世紀少年」の町-16(ケンヂの少年時代)

f0005116_22254737.jpg次の話題へ行く前に、「20世紀少年」関連話から遠ざかっていますので、大きなネタバレの無い程度に、原作からケンヂ達の少年時代を、ざっとふりかえっておきましょう。この年譜は今後のブログ展開の参考のためにもなると思います。とにかくケンヂの幼少期は、小出しに出てくるのでざっとまとめておくためにも必要かと。(写真:コミックス「20世紀少年-1」/浦沢直樹作、小学館)

<1967年>小学2年のケンヂは姉のキリコと駅前の国際劇場で、「ゴジラの息子」を見た帰り、喫茶「さんふらんしすこ」に寄り、アイスパフェを食べます。

<1969年>小学4年のケンヂやオッチョ、マルオ、ヨシツネ達は、野原に「秘密基地」を作り、悪の組織と闘う「よげんの書」を作ります。「ともだち」は内緒で「秘密基地」に忍び込み、ケンヂ達が書いた「よげんの書」を見つけてしまいます。そしてその時、同じく秘密基地に入ってきた、お面でいつも顔を隠している少年や、他の仲間にもその内容を知らせます。

その年の夏休み早々、アポロの月面着陸があり、ドンキーは月面に僕らも旗を立てようと言います。しかし夏休みの終りに、「秘密基地は」史上最悪の双子「ヤン坊マー坊」の手で壊されてしまいます。その後も何度か基地は壊されますが、そのたび復活します。

<1970年>小学5年のとき大阪万博があり、家の事情でケンヂは万博に行けませんでしたが、オッチョとヨシツネは大阪の親類に泊まり、万博に行きました。でもヨシツネはアメリカ館の行列待ちで日射病に倒れてしまいます。

この時「ともだち」も万博には行けなかったけれど、人の注目を集めるため、さも行ったような夏休み日記をつけていました。ただし休みの終り、ケンヂ達は肝試しで「首吊り坂の屋敷」に行き、幽霊?を見たことで、結局新学期はその話題で持ちきりとなります。

<1971年>小学6年のケンヂ達はTVの「ゴールデン洋画劇場」で「大脱走」(前編)を見ますが、すでに映画を見ていたオッチョは結末を知っていました。
この年の夏、ボウリングブームのため、「秘密基地」のあった原っぱは、ボウリング場となってしまいました。

夏休み最後の日、モンチャンは理科室の水槽掃除当番の時、水槽の電源を入れ忘れたのに気づき、夜ドンキーにスイッチを入れてもらうよう頼み込みます。その夜ドンキーは理科室で「ともだち」の仕組んだ事件を見て、2階から飛び下りて逃げ帰ります。その後、大人になってドンキーは「ともだち」の手で殺されてしまいます。

その後、ヨシツネは他の場所に「秘密基地」を作り直しますが、かつての遊び仲間達はもう戻りませんでした。皆、成長と共に子供じみた基地遊びに、興味がなくなってしまったのです。その後仲間達が結束するのは、ケンヂが自分達の作った「よげんの書」が、「ともだち」に悪用されてると知り、かつての仲間達に招集をかけてからでした。
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by ttru_yama | 2010-02-14 23:31 | 「20世紀少年」の町

0910-12 「20世紀少年」の町-15(常滑牛乳-2)

f0005116_21433599.jpgというわけで「常滑牛乳」の製造元、常滑牛乳合資会社さんを直接訪問させていただきました。黄色の牛乳ケースの積まれた、工場入り口へ入っていきますと、配達業者の方が丁度作業していました。
「ああ、社長さん? 自宅の方にいますから中へどうぞ。」と、愛想よくいわれるのでお言葉に甘え取材開始です。(こういうアットホームな会社でないと、取材も即・門前払いとなるのですが・・)まずは持参した北名古屋市歴史民族資料館にあった牛乳箱の写真や、同社に関するネットの記事などをお見せして、話の糸口を切り出します。

f0005116_23145067.jpgお話によれば牛乳製造は戦後、先代社長が始めたとのことで、当時は乳牛も飼っていたそうです。さて前回とり上げた常滑牛乳と「三和(みわ)村」の関係ですが、この写真の右上にあるブランドマークにその名残が残っているとのことで、「赤ちゃん」をとりかこむように、輪が三つデザインされているわけです。

こちらの方のブログの写真や記事を確認下さい。常滑牛乳の特徴は、日持ちのための牛乳を沸騰させる(120℃を越える)超高温殺菌が主流の中、高温殺菌(85℃15分)で処理をしています。

もっと低い65℃位の低温殺菌という処理もありますが、常滑牛乳さんは日持ち・風味・吸収の点から殺菌処理を考えておられるようです。(←参考ページ)

ご厚意で1本飲ませていただきますと、(あくまで私の感じた印象ですが)いつも飲んでる牛乳より、飲んだ後の甘味がしっかり残る感じでした。地産地消ということだと思いますが、常滑市の学校給食と配達が主で、なかなか常滑でもお目にかかれぬ地元牛乳ですが、これからも頑張っていって欲しいと思ったことです。(取材協力に感謝)
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by ttru_yama | 2010-02-07 00:29 | 「20世紀少年」の町