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0908-0909 東京への移動手段-1

f0005116_22481539.jpg「東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展」に戻らないといけないのですが、今日は東京旅の関連話で、お茶をにごしておきましょう。ある調べ物のため8月末と9月のシルバーウィークで東京へ行ってきました。節約旅なのと趣味で8月は18きっぷの「ムーンライトながら」で行きました。そこで全く遅ればせながら気づいたことは、この「ムーンライトながら」が今年3月14日以降のダイヤ改正で、臨時列車化してしまったことです。

車両が写真のような旧国鉄特急に変わったのは、まあ一興かとは思いますが、臨時列車化でこれから困ることは、要するに毎日定期運行していないということです。(これからは18きっぷの発売区間と連動した形となるもよう) 停車駅にしても今までの「ムーンライトながら」は、ある意味「救済列車」的な面で助かっていました。名古屋駅から三河方面への、最終列車以降の近郊区間の各駅停車運行は救いでしたし、早朝にしても一番列車より早く名古屋駅に着く裏ワザ列車だったのです。(停車駅の大幅なカットで、今後これらは不可能になりました)

f0005116_23263863.jpg18きっぷの発売期間にしても、今後「ムーンライトながら」に乗るには、名古屋駅か豊橋駅で列車を待たないと、列車は停まらず通過して行ってしまうのです。今回私は事前に知ったのでいいのですが、この春や夏休みなどいつもの調子で「ながら」を待っていたら、通過していった人もいたのではと心配してしまいます。(写真/臨時列車化のため東京方面の3:19発の「ムーンライトながら」の記述がなくなってしまった沼津駅構内の時刻案内板)(つづく)
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by ttru_yama | 2009-09-26 23:32 | お出かけ

090814 国民型ラジオ2号A受信機-4

f0005116_9272813.jpg前回も参照した国民型受信機一覧のページによれば、トヨタの国民型ラジオ2号A受信機が認定されたのは、昭和22(1947)年5月16日の事ですので、トヨタのラジオ製作はその頃から始まったと思われます。

写真は昭和24、5年頃のトヨタ自動車工業㈱刈谷北工場(右/現 ㈱デンソー)と刈谷南工場(左/現 トヨタ紡織㈱)の様子です。(トヨタ鞍ケ池記念館写真パネルより)

ということで、国民型ラジオは刈谷南工場で作られていました。実際に昔の刈谷南工場に勤務していた方が今回の展示ラジオを見に来られ、当時ラジオ製作していた場所まではっきりと記憶されていたのです。刈谷南工場は昭和25年5月に民生紡績㈱となり、昭和42(1967)年8月、豊田紡織㈱ (現 トヨタ紡織㈱)となります。

そしてもう一方の刈谷北工場側でもラジオを作っていたことがわかりました。ただし確実なところは、昭和24(1947)年12月に刈谷北工場が日本電装㈱となった翌年25年以降の話で、作っていたのは並4ラジオとしかわかっていません。(国民型ラジオ2号A受信機は高1ラジオ)

f0005116_1215130.jpgトヨタ自動車がラジオ等のいわゆる「やり繰り生産品」を製造していた背景には、戦後のGHQ指令があります。軍需工場に指定されたトヨタ自動車、及び関連工場には生産ストップが掛かり、生活必需物資への生産転換を余儀なくされ、トヨタ自動車においても当初は民需向けのトラックしか作れず、そのため食いつなぐ「やり繰り生産品」を作るしかなかったのです。

刈谷市史には当時の豊田系各社「やり繰り生産品」が載っていますが、その内の日本電装㈱(現 ㈱デンソー)の項には、鍋・フライパン・電気ストーブ・電気七輪・アイロン・ラジオ受信機などが載っています。今回見てきたトヨタ「国民型ラジオ2号A受信機」生産の背景には、こうした経緯があったのでした。
ただしトヨタ自動車のホームページや、鞍ケ池記念館の社史パネルには、ラジオ生産のことは一切触れられてはおらず、今回のような展示物により生きるために苦闘した戦後の、悲惨な時代を偲ぶことができます。
(おわり)
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by ttru_yama | 2009-09-20 12:30 | 昔のこと

090912 HACHI ~約束の犬~

f0005116_21239100.jpg「090814 国民型ラジオ2号A受信機-4」の話は、ちょっとおいておきまして今日は映画「HACHI~ 約束の犬」の話です。もちろん元々の話は日本で有名な、渋谷の「忠犬ハチ公」の米国版リメイクです。
まあ、いったいこの日本では国民的逸話をアメリカ仕立にしてどうなることか・・、という心配もあるわけですが、それがそれが実話の本質部分(「日本人がこの話に感動する部分の意」)を、損なうことなく真正面から伝え、合わせて現代の米国映画として付け加えた、数々のエピソードも違和感なくさらに感動をもって観ることが出来ました。

元の話は今から80年前の渋谷駅で、すでに亡くなった主人の帰りを9年間も律儀に待った、「ハチ」という秋田犬の物語です。本作のロードショーとともに日本版「ハチ公物語」(1987年に映画化、神山征二郎監督、主演仲代達矢、八千草薫)がTV放映されましたが、日本版が大正昭和初期の地方や下町の人々の情景を深く描いた、(この言い方は悪いとは思いますが)ある意味、日本的な情の絡んだ泥臭い描き方の演出でした。(私はTV放送でなく今ネット配信で見ました)

f0005116_2242155.jpgさて、観てきたほうのハリウッド版ですが、こういう日本的な泥臭さがほとんど消えて、時代設定も現代で、かなりアメリカナイズされてサラッとした描き方です。たとえばハチが生まれて上野教授の元にやってくるまでのシーンは、かなりカットされていますし、日本から航空便で送られた荷札が破れ、ハチは宛先不明の犬として音学大教師パーカー(リチャード・ギア)に拾われるという違った描き方をしています。

教授のお葬式シーンでも、日本版のように通夜だったかの席でハチが鳴き叫んだり、霊柩車をハチが追いかけたりすることもありません。米国版では単に家族友人達が墓地で冥福を祈るシーンだけで、そこにハチは登場しません。つぎに渋谷駅前の人情屋台の主人(山城新伍)ですが、米国版ではホットドッグスタンドの主(エリック・アヴェリ)に置き換わっています。

日本版では帰らぬ教授を駅前で待ち続け、年を取って汚れた姿でさまようハチを、「こういう不潔な犬は早く始末をした方がいい」という屋台客と、「お客さん、不潔なのはお前さんの心じゃないですかね」と言って屋台の主人が、客と喧嘩するシーンが出てきます。(それらは日米独自のこの映画への演出の違いなのでしょうが)アメリカ版では通行人はいたって善良な市民ばかりでハチに温かい人ばかりです。

米国版のシーンでは日本版には無い、教授と教授に毎朝ホットドッグを売る主人と、毎朝毎夕ごと駅に教授を送迎するハチとの、心の交流が爽やかに描かれています。というようにアメリカ版「HACHI」ではそんなにベッタリした演出はないのですが、それでもそれでもですよ、物語の本質の部分、「犬と主人との深い絆」がしっかり描かれているので、(これは日本版と共通するのですが)ハチと教授の夢の中の再会シーンまで、眼が離せないのです。

もっともっと細かいエピソードを話したいのですが、それはご自身で確かめて下さい。上映も末期になってきたようですので、興味がある方はお早めに。(デス) とにかくHACHIのかわいいことといったら・・ね。(注、小犬時代のHACHIは柴犬が使われたそうです)
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by ttru_yama | 2009-09-13 00:07 | 本・映画・ドラマ

090814 国民型ラジオ2号A受信機-3

f0005116_19525824.jpgこのラジオがトヨタ自動車で作られたことの証となるアルミ銘版の写真です。左上に「丸の中にトヨタ」と描かれた当時のロゴが見られ、「國民型二号A受信機」とあります。型式は「K-2」、製造番号は「00300」で、最下段でも「トヨタ自動車工業株式會社」の社名を確認できます。

ちなみにこの「國民型二号A受信機」というのは、トヨタの製品名ではなく、当時の電気機械統制会が中心となって作られた戦後のラジオの仕様に沿って作られた規格の名称です。くわしくは「日本ラジオ博物館」HPのこちらを参照下さい。これによれば国民型受信機は1~6号まで存在し、「國民型二号A受信機」だけでも、クラリオン、アリア、ゼネラル、アポロ、テレビアン等のブランドがあり、この中の「アポロ」がトヨタ自動車工業製であったわけです。

残念なことに「アポロ」というブランドは、消えてしまったのか初めから公に表示しなかったのか、筐体のどこにもみられません。上記ホームページには製造会社が(現在)なぜかトヨタ自動車工業㈱「刈谷南工場」となっていますが、そのリンクからジャンプしたこのページではトヨタ自動車工業(株) 「刈谷東工場」となっていて、HPでの製番が「4069」のように読み取れ、資料館の展示品より後発の製品と想像されます。そのせいか先行して作られた資料館のラジオの真空管には、見たところ「トヨタ」マークは入っていないようです。

しかし、このトヨタ自動車工業㈱「刈谷東工場」というのは、実際には存在しなかったので元ページの「刈谷南工場」の間違いかと思われますが、HP上にある自動車部品メーカ 「デンソー」というのは「刈谷北工場」にあたります。ではHPの記述は単に記述間違いなのか、それとも「刈谷北工場」 (現、デンソー)でもラジオは作られていたのでしょうか。(つづく)
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by ttru_yama | 2009-09-05 22:04 | 昔のこと