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090814 国民型ラジオ2号A受信機-2

f0005116_1647039.jpgさてこの写真はラジオの裏側になりますが、まず前回記事の訂正をしておきましょう。(もう一度見てきましたヨ)(^_^;;)

前回「3つある操作つまみ」の機能は、①電源スイッチ、②選局チューナー、③ボリュームなどと書いていましたが、実は①の電源スイッチは間違いだったのです。その電源スイッチは本体の左手筐体側面にあったのでした。(下の写真でも本体左側に小さく写っています)

電源スイッチは上の裏側写真では、スピーカーの右上の黒い部品となります。これがスイッチでして、もちろん操作は箱の外から行うのでした。(そんなラジオがあるって知らなかったよ~) 今で言えばブレーカーをかなり小さくしたようなスイッチで、トグルスイッチを上下に切り換えることでオンオフします。

ついでに言っておきますと、2本ほど銀色に輝くだるまさんみたいな形のものが、真空管でこの先進化するとトランジスタに置きかわりました。真空管はカバーで覆われたりして見にくいのですが、全部で4本あります。


f0005116_1792465.jpgところで、「3つ目のつまみの機能は何なのだ?」ということになりますが、これも確認してきました(笑)
ということで、写真の3つのつまみは、右から①ボリューム、真ん中が②選局、そして左の③も選局なのでした。そうです。この時代のラジオは選局つまみ(ダイアル)が主(②、副(③)で2つあったのです。

この時代、主ダイアルで大まかに選局します。しかし主ダイアルでは大まか過ぎて、微弱な電波の場合、わずかな手元のブレで微調整が効かないのです。そこで副ダイアルで微調整を行うのでした。さて、そんなこんなでトヨタ製のラジオの話を書いてる余裕が無くなりました。(また次回ということで)
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by ttru_yama | 2009-08-30 18:00 | 昔のこと

090814 国民型ラジオ2号A受信機-1

f0005116_2162773.jpg終戦特集第2弾です。(笑) さて現在愛知県刈谷市の郷土資料館にて「懐かしの機械展」(2009.08.01-09.13)が開かれ、昔の振り子時計、ラジオ、テレビ、蓄音機、電話、カメラが展示されています。中でも私の気になったのは写真のラジオです。今ではこんな木製のラジオ自体が珍しい世の中ですが、どこが気になったかといいますと、その製造会社なのです。

その話に入る前にまずはこのラジオの操作が気になりませんか。(えっ、気にならないって?! 汗;;;) えーっと、私の覚えてるラジオの記憶では操作つまみが2つしかなかったのです。つまりボリュームつまみを回すとスイッチが入って、真空管があったまり受信できる状態になって、さらに回すと音量が大きくなるわけです。で次に選局つまみで聞きたい局を選ぶのです。でもこの時代のラジオは電源を入れるつまみが別にあり、合計3個のつまみがあったというわけです。 (3個のつまみについては090814 国民型ラジオ2号A受信機-2 にて訂正記事掲載)
まあ、どうでもいいような話は終りにしまして、このラジオの製造メーカーはどこだと思われますか。実はすごいメーカーが作っていたのです。何とトヨタ自動車製なのです。いや正確に言いますとトヨタ自動車工業㈱刈谷南工場製の、国民型2号A受信機だといいます。(つづく)
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by ttru_yama | 2009-08-23 22:17 | 昔のこと

三河地震のこと

(ギャラリーはお休みです) 8/11の朝5時7分に起きた駿河湾沖を震源とする地震(静岡中部震度6弱)によって、たたき起こされた人も多いことでしょう。この地域では震度3~4位の感じだったと思いますが、お盆の渋滞時期を前に崩落した東名牧ノ原付近の車線の通行止め(特に上り)も、数時間前(15日深夜)にやっと復旧したもようです。8月はずっと土曜に仕事が入り、車で遠出の出来ないでいる私にはあまり渋滞は関係無かったのですが、ただでさえ混み合うこの時期に東名という幹線道路が使えなくて、帰省する人には大打撃だった事でしょう。

f0005116_4141619.jpgさて毎年終戦の日が近くなると、テレビで終戦特集番組が多くなるのですが、先日ふとしたことで西尾のお年寄りと会話したとき、今回の地震の話から終戦の年の三河地震(昭和20年1月13日午前3時38分発生)に話題がふれました。実は三河地震の前の1ヶ月前、昭和19年12月7日午後1時35分に東南海地震(志摩半島沖、M7.9、安城市域で震度6と推定)が発生して、三重、愛知、静岡を中心に死者行方不明1,223人の被害が出ていた矢先のことでした。

そして続く三河地震の震源は三河湾ということでM6.8、死者・行方不明2,306人の被害を出しています。被害は西三河を中心に特に西尾市では当時の震度基準で震度6(現在の震度で7)だったといいます。その人から聞いた話では激しい横揺れに家の1階がつぶれ、しばらくは(持ちこたえた)2階の方で暮らしたといいます。

ということで掲載写真は安城市歴史博物館にて、平成18年の9-11月に開催された企画展、「三河地震」のリーフレットで、場所は安城市西端です。元は白黒写真だそうですが、CG着色化していて当時の雰囲気がよく伝わってきます。被害もさることながら女性のかぶった防空頭巾が、戦時下であったという状況をよく物語っています。

東南海地震と同じく三河地震も、戦時下ということで報道も規制され、写真をとること自体もなかなか難しい状況だったといいます。貴重な写真には碧南油ヶ淵の応仁寺、高浜の瓦工場、西尾米津橋等の甚大な被害の様子が写っていますが、新聞報道では強い揺れとしただけで、地震の規模にははっきりと触れておらず、被害は僅少としています。

また報道の中には恐るべきことに、この地震で灯火管制が緩んだ地域があり、もし敵機が侵入したら大事になるところであった、と書かれていることです。夜間の人命救助している時でも灯火を使うな、ということなのでしょうか。大変な時代だったことです。まあそういう点からみれば東名の復旧予定が、修正に次ぐ修正ではありましたが、どんどん報道されていったことは、今は『いい時代?』なのでしょうね。(しないと大変な時代か?)
(次回も終戦話題にしようと思います)
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by ttru_yama | 2009-08-16 05:24 | 昔のこと

080720 東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展-22

先週は「ルーブル美術館展」を開催中(2009.0630-9.27)の、京都市美術館へ行きフェルメールの「レースを編む女」を観てきました。玄関脇のテントの待ち行列が少なかったので、「そんなものかな」と思い、会場内に入ったらロビーはトグロ状態でした。フェイントを受けた気になりましたが、暑さのおり冷房の効いた会場内での待ち行列がいいことです。
フェルメール、小さな小さな絵がアクリル板にガードされていましたね。もちろんこの絵は今回の目玉なのでしょうが、絵の前の行列は思った程ではなかったでした。小さな絵なので情報量もそれなりで、そんなにしげしげ観る人もいないのかもしれません。しかしきつかったのは後で訪ねた京都御所の、炎天下ウォーキングでした。京都の夏はアツイ。(笑)

f0005116_931719.jpgということで東京駅工事フェンス・ギャラリー、写真は説明によれば昭和6(1931)年頃の東京駅です。右下に写っているのが丸ビルですね。荒れ果てた江戸の大名屋敷跡地を三菱が買い取って、三菱ヶ原と呼ばれたこの地に「丸の内ビルヂング」が出来たのは、大正12(1923)年2月20日の事ですから、この建物も約6ヶ月後の大震災に遭った訳です。

東京駅もいわゆる正面玄関がこの丸の内側で、写真の4面プラットホームの向こう側が八重洲側なのですが、この頃の八重洲側には外堀があって八重洲橋(写真上部中央の白い部分)が架けられていました。今ではこの外堀は埋め立てられて外堀通りという道路になっていますが、日本橋や京橋方面から丸の内側へ行くには、北の呉服橋、八重洲橋 、南の鍛冶橋を渡っていった訳です。

というわけで東京駅が出来てからは、八重洲橋を渡った付近に改札口が出来たのですが、説明資料には「小さな八重洲口駅舎」としか無いので、写真上でどれがその駅舎だったか「これです」としっかり説明ができません。(笑)
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by ttru_yama | 2009-08-09 10:42 | ギャラリー

080720 東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展-21

(また脱線しそうですが)
いや~見ました、見ました。(全部じゃないけど) 先週のBS2月~金に及ぶ5夜連続の「ガンダム宇宙世紀大全」。ガンダムって今年30周年なんですね。とはいうものの、ガンプラモデルが流行っているのは知っていましたが、リアルタイムでガンダムは観ていなかったのです。今回TV版のファーストガンダムから、劇場版やらまたTV版に戻ったりいろいろ観させてもらいましたが、TV版は地元名古屋テレビ(現メ~テレ)も、制作に参加していたことも驚きでした。

「BSアニメ夜話」なんかでガンダムファンが集り、「アムロがシャアが・・」などと盛り上がり、アニメ・マエストロの氷川竜介サンや岡田斗司夫サンなんかが、富野由悠季監督の制作したガンダムが、ロボットアニメのジャンルのなかでも、他を抜きんじた独創性や特異性を論じるのを見ていましたから、「ガンダム」についてもう少し知っておく必要があるなぁと思っていたのです。

その中でも面白かったのは本編であるアニメ枠以外で、第4夜の「富野由悠季監督語録」。その中で当時虫プロで働いていた若いころの富野監督が、漫画の神様・手塚先生を前にしてアニメについて熱っぽく語っていたシーン。その映像から受けた感じは、監督は手塚さんの存在を無視ではないのだろうけど、自分のアニメ論をぶつ富野サンを前に、手塚先生もただ聞くしかないばかり表情だったように見えてしまったことです。

「何だ、この熱いオジサンは!?」と思ったのですが、(これはまた別の映像での話です)本人語るところ、自分は映画を撮りたくて大学の映画学科を卒業したのに、当時映画会社の採用枠が無く、しょうがないので虫プロに入ったのだけれど、虫プロの現場には映画も知らない人が多いことがやりきれなかったような意味合いの話をしていました。まあエリート意識もあったのでしょうが、とにかく昔から作品作りには一家言持ってた人のようです。周囲の人いわく「ワワワ・・」と言ってる時の富野さんは言葉の細かい要旨はよく分からないのだけれど、伝えたいと思ってる方向性を他人に感じ取らすことが出来る人のように言っていましたが、そんな感じのひとなのでしょう。瞬間湯沸器になるけれど、やさしい人でもあると言います。

結局、そういうところからも「ガンダム」には「説明」的な部分がほとんど無く、視聴者・観客に概念的に感じさせるシーンが多いのではと思った次第です。つまり、「ミノフスキー粒子」も「ニュータイプ」もほとんど(全く?)説明なしにストーリーに入り込んでくる訳です。作り手側でも正確に答えられる人は、いないのではないでしょうか。

監督は今までのロボットアニメでタブーとされるものを全部盛り込んでみたかった、と言っています。つまり「正義が必ず勝つ」といった勧善懲悪物でなく、敵にもそれぞれ負った運命があり、その運命の中での生きざまを描写してゆく等々・・かと思いますが、主人公アムロにしてもウジウジしたり、自分の気持ちだけで行動して命令違反もしょっちゅうだし、時には敵のシャアを含め回りの人間が言ってる事が正しいように思える時も多くて、そういう人間の単純に割り切れない部分を描いたアニメでは草分け的な作品だったから、単に「ガンダムのメカがカッコイイ」だけでそれっきり終わる作品ではなかったのでしょう。

で、実際のアニメを観た私の感想は、そういうストーリーの骨格的な部分を外して言いますと、『宇宙をゴミだらけにスルナー!!』です。あれだけのザクやらモビルスーツやら宇宙船が破壊されたゴミの漂う宇宙を『誰が掃除スルノー!!』ということです。宇宙に限らず戦争は止めましょう。スペースコロニーを地球に落とすなんてもっての他ですね。その宇宙ごみのことをスペースデブリ(space debris)と云うそうですが、現在地球の回りには大きさが10cm以上の宇宙ごみが約1万個あると言います。そんなものが秒速数kmでぶつかったら、せっかく若田さんが組み上げて戻ってきたのに、その宇宙ステーションもいつか壊されてしまいそうです・・。

(やはり脱線しましたね。ギャラリーはまた次回です。)
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by ttru_yama | 2009-08-02 00:53 | ギャラリー