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080720 東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展-20

話は変わりますが22日の46年ぶりの、日本で見られる(た)はずの「日食」ってみられましたでしょうか。悪石島の人達は風雨ででさんざんだった様ですが、この地方でも雲に阻まれ私は見ることが出来ませんでした。(ウチの人は雲間から欠けた太陽を見たと言っていましたが、「あれって地球の影で太陽が欠けるの?」 などとおっしゃっていましたね。まあそれでも見えた人は幸せかも・・。)
ところで日食って、以前は日蝕と言ってた気がするのですが、今のメディアはテレビも新聞も一様にみな「日食」になっています。で、「?0年」前に買った天体観測のガイドブックを見たけど、それには「日食」って書いてあるのでした。でも確か「日蝕」の方が(も?)多かった気がするんだけれど・・。(意固地)

同じような疑問や回答のページがこちらこちらにあります。そこにあるように確かに日食は「日本食堂」でしたが、その方の「日食」は最近聞きませんね。

f0005116_7729100.jpgと、見えなかった「日蝕」話はこのくらいにして、今日はコローの都市風景「ドゥエの鐘楼」(1871/左)とシスレー(1839-1899)の「アルジャントゥイユの大通り」(1872/右)(リーフレットより)です。どうもコローというと緑の多い森や田舎の風景画のイメージが強いのですが、こうした都市の町並みも描いていたのでした。

ドゥエ(DOUAI)はフランス北部ベルギー国境に近い地方都市ですが、1871年3月26日に起こった「パリ・コミューン」の難を逃れ、コローもこの地方にやって来ました。この中央の鐘楼のある建物は市庁舎で現在世界遺産との事ですが、130年以上前にも名所だったこの鐘楼をコローも描いたようです。解説にもありますが、コローはこの市庁舎の位置に苦心したようで、手前の建物から中心の市庁舎までを描き、遠近感あふれた絵に仕上げています。なお手前に描かれた婦人と話す男性はコロー自身だといいます。

代わってシスレーの「アルジャントゥイユの大通り」ですが、場所はパリ北西部の都市アルジャントゥイユ、中央の尖塔はノートルダム聖堂です。他にも同じ年に描かれた「アルジャントゥイユの広場」という作品がありますが、こちらは広場がモチーフなので、尖塔は建物の影になっていますがしっかり絵のアクセントとなっています。解説ではシスレーはコローの風景画を賞賛しており、先年描かれたコローの「ドゥエの鐘楼」を展覧会で見た可能性があるとしています。

というわけで、コローの印象派への影響という観点での作品展示の一例ですが、私にはコローの都市風景画もなかなか、という1枚でした。
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by ttru_yama | 2009-07-25 09:53 | ギャラリー

080720 東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展-19

f0005116_2091730.jpgほとんど無傷で関東大震災を乗り越えた、大正13(1924)~14(1925)年の東京駅です。南口(写真右側)は乗車口ということで、この写真では見分けが難しいですが、元の写真で見ると南口へ向かう乗客は確かに後ろ姿で写っています。
そして中央口は皇室専用口で、(これも元の写真で見ないと分からないのですが) 張り出した玄関下まで馬車か自動車が乗り入れられるように半円のアプローチが見られます。

昭和20(1945)年の東京大空襲に遭うまで、東京駅はこの写真のように三階建てでした。この写真解説にはその2・3階部の北側は大正6(1917)年10月から中部鉄道管理局が使用、南側は東京ステーションホテルとなっていたとあります。

この東京ステーションホテルは江戸川乱歩の「怪人二十面相」という小説に登場します。名探偵明智小五郎がこのホテルで二十面相と対決し、何か事があったら駅の広場で待機していた小林少年に合図して知らせる、というような展開だったかと思いますが、もうすっかりうろ覚えです。(笑)
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by ttru_yama | 2009-07-18 22:04 | ギャラリー

080720 東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展-19

f0005116_23565570.jpg少し前の作品に戻りますが、「ティヴォリ、ヴィラ・デステ庭園」(1843)(美術展リーフレットより)です。コローは1825-28年の最初のイタリア旅行以来、1834年、そしてこの作品を描いた1943年と、生涯に3度イタリアを訪れます。ローマより20km東部にティヴォリ(チボリ)という王侯貴族の別荘があったところで、コローは庭園と噴水で有名なエステ荘でこの作品を描きました。

作品解説によればこの中央の欄干に腰掛ける少年は、『おそらくは構図に中心を与えるため、後からアトリエで描き加えられた。』 とあります。今まで掲載したコローの絵にも、風景と共に人物が登場していますが、コローに限らず特に風景画の場合、画家が絵の構成上必要としたとき、人物(または動物など)が画面上に画家の作為として採り入れられ、風景画としての絵に深みを与えていきます。

後の1863年、この作品を模写した女流印象派画家がいました。後にコローの教えも受けたベルト・モリゾ(1841-1895) は、この絵が描かれたときは、まだ生まれたばかりなのでした。

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「モンフェルメイユ、森の小川」(1867頃) この作品は岡崎市美術博物館で12日まで開催中(2009.5.16-7.12)の「ピサロ」展の絵葉書ですが、コローは印象派の巨匠ピサロ(1830-1903)とも親交があり、影響を与えています。

同展覧会には他にも「ヴィル=ダヴレー近くのル・プティ・シャヴィル」(1823頃)等のコロー作品がみられます。
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by ttru_yama | 2009-07-12 01:40 | ギャラリー

080720 東京駅と「コロー 光と追憶の変奏曲」展-18

f0005116_82123100.jpgその後の東北本線の大正8(1919)年3月1日の東京-神田間開通、大正14(1925)年11月1日の神田-上野間の開通により、東京駅は帝都の中央玄関としての地位を益々発展させてゆくのですが、そのさなかの大正12(1923)年9月1日、関東大震災の猛威にさらされることとなります。
ただし民家の多くが倒壊炎上、三越、万世橋駅等も被災する中、東京駅はほとんど無傷でした。

写真は「東京駅前震災当猛火襲来避難実況」とタイトルされた当時の絵葉書のようですが、自動車、大八車、人力車が行き交う中、避難場所を求め東京駅に集まってきた人々の様子を写し出しています。

f0005116_9131468.jpg当時の写真の中に凛と建つ東京駅をバックに無残な姿で被災した鉄道省の写真が残っていますが、そんな中でも鉄道復旧は急ピッチで進められました。

この絵葉書写真では機関車先端までしがみついた乗客を搭載し、震災の東京を離れる8620形機関車が写っています。
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by ttru_yama | 2009-07-04 10:51 | ギャラリー