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080913 グーグーだって猫である-大島弓子の世界-4

f0005116_9312252.jpgそういえば吉祥寺の駅名標が「チキジョージ」、隣駅の三鷹が「夜たか」、西荻窪が「昼荻」として登場するのは、「綿の国星」でした。そして、この時「須和野チビ猫」は飼い主時夫のバスケットに入れられ、快速高尾行きに乗り、チキジョージまでのどきどき電車旅(この情景描写は圧巻です)をするのでした。でも大島サンはこの頃はまだ、猫を飼っていなかったようです。ちなみに映画でサバは、近所の子供たちから捨て猫を頼まれて引き取ったシーンがありますが、実際は生後2ヶ月の家猫を譲り受けたのでした。(サバシリーズ「サバの秋の夜長」)

f0005116_2256383.jpgあらためて北口から吉祥寺駅ビルを振り返ってみましょう。写っているオレンジストライプの電車はJR中央線列車で、吉祥寺駅には快速が停まります。ただし、吉祥寺近郊の駅はどの駅も快速が停まるのでこの付近はほとんど普通区間状態です。ただし特別快速(通勤特快)は停まりません。
JR線の駅ビルはロンロン(LONLON)で、大島サンは最初の飼い猫「サバ」(アルファベット表示はSAVA)のお誕生日ケーキをここで買っています。(サバシリーズ「サバの夏が来た」)後ろに見えるのはユザワヤ(手芸・工芸・ホビー用品の店)で京王井の頭(いのかしら)線の駅ビルに入っています。

f0005116_21375820.jpgハーモニカ横町(映画ではハモニカ横町/漫画サバシリーズ「アンブラッセ」ではH横町として登場)の佐藤精肉店を捜して、北口アーケード街サンロードへ入り込んでしまい、途中左へ折れ曲がり伊勢丹、東急、そしてパルコ方向に戻りかけました。(パルコで大島サンは「般若心経入門」を買ったと「サバの秋の夜長」にあります) そのパルコのひとつ手前の路地を入ったところがハモニカ横町の一角でした。

後になって思えば、実はハモニカ横町はサンロードへ入る前を左に曲がればよかったのでした。ところでこの通りはサンロード以上に人でごった返しています。というより佐藤精肉店の前で行列ができ、行く手が阻まれているのです。f0005116_2264815.jpg そしてこれが映画の中で(大島サン役である)小島麻子がアシスタントに「グーグーの意味が分かったら、サトウのメンチカツ1年分」と懸賞品にしたいわゆる「サトウのメンチ」です。漫画の中では店の話は出てきませんが、犬童監督が大島サン等に取材でもした時、ここのメンチカツのことを聞いて映画に採用したのでしょう。
そのシーンではアシスタントである森三中の目が輝いたことです。そしてそのお値段は1個150円(ナント松阪牛入り)で、5個買うと単価が140円(要するに700円)です。店員さんもたくさんいて、すごい活気のある店でした。もちろん普通の肉やとんかつなども売ってます。

f0005116_22511059.jpg駅構内を抜け、吉祥時公園口から駅南にでて路地を抜けると丸井デパートが見えてきます。このビルのある通りが井の頭通りで、右方向にゆくと丸井無印良品館、その前には丸善ビルがあります。この丸井と隣の茶色いビルの間を行けば、井の頭公園に出ます。




f0005116_9452526.jpg後追いで記事を追加していますが、この井の頭通りの写真で見逃せないのは、茶色のビルの右隣の丸井無印良品館(縦長の赤茶色の看板のあるビル)です。実はサバシリーズには「M屋」という高級スーパーが登場し、大島サンはよくここで食料品やサバの缶詰などの買い物をします。大島サンの漫画にはよくスーパー袋をさげた姿が描かれていますね。 商品の並べ方がきれいなので、見るだけでも気分転換になるようです。(「アンブラッセ」)

「すばらしき昼食」では公園で慣れてないナンパに出会い、免疫性のない大島サンはどぎまぎしてその場を逃れ、M屋に入るとすっかりその事を忘れ花見弁当や食料等を買っています。
そのときのセリフも面白いですね。『M屋の自動とびらはこの世のカラクリ戸だ。ここに入ると今までどんな世界にいよーとガラリと次元が 変ってしまいます。』とあり、ネーム中にM屋に行くとアイデアが消えてしまう事を恐れています。ところでナンパ事件にはその後があり、この時M屋で買ったアイスクリームにドライアイスが入っていなかったことで、せっかくその気になった大島サンの恋愛モードは途切れてしまうのでした。(くわしくはサバシリーズ「すばらしき昼食」を見てください)

また仕事場での食事なんかにもM屋の弁当が出てきます。(「サバの天国と地獄」) ということでM屋の場所をネットでいろいろ調べたのですが、今まで不明でした。(10/12) なんとなくサンロードのアーケード街にある、高級スーパーの三浦屋みたいな気がしましたが、漫画に出てくるビルの店構えとは違うので書くのを止めていました。でもやっと吉祥寺のスレッドの書き込みで、以前の三浦屋が無印良品館にあった事がわかりました。(もう15年余りも時が経っています。書き込みした人に感謝。) それではまた次回です。
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by ttru_yama | 2008-09-29 00:12 | 大島弓子

080913 グーグーだって猫である-大島弓子の世界-3

f0005116_22293050.jpg気のせいか一時的にブログ訪問される方が、ほんのちょっぴり増えた気もします。これはやはり大島サン効果?!なんでしょうか。 というわけで「グーグーだって猫である」1~4巻(角川書店」)も衝動買いしまして、「大島弓子の世界-3」の始まり~始まりです。(笑) 映画ではグーグーだけの出演でしたが、今や増え続ける迷い猫(4巻ではナント13匹!!)のために?、長年暮らしたマンションと仕事場を引き払い、一軒家まで買ってしまった大島サンなのでした。

大島サンは病気や弱った捨て猫を見かけると、ほっておけなくなるのです。4巻のビー(2番目のメス猫)の失踪にはハラハラさせられましたね。楽しいこともいっぱいある猫との生活ですが、心配事の種の尽きない生活で、この人こんな状況で本業の漫画描けるのだろうか、などとそっちの方も心配になったりします。

f0005116_22445316.jpgその大島サンですがメディアに出ない分だけ、自画像が代わって漫画で登場します。右の自画像は「F式蘭丸」(サンコミックス/昭和51年9月)の裏カバーに載っている自画像(許して下さい)ですが、これと現在の「グーグーは猫である」の自画像(主人公)を見比べると、かつてのファンとしては本当に月日の流れを感じてしまいます。

自分を棚に上げて、あんまり他人の年のことを言って叱られそうですが、ずいぶん大島サンもオバサン化(失礼!)してしまいました。これを映画では小泉今日子さんが演じていたのですが、往年のキョンキョンもやはりそれなりの年令になってきて、長いチリチリヘアもたぶん本人に似せたものと思いますが、見てるとなかなか年令的にも演技的にも、適役になってるんだなと思えたことでした。

f0005116_23341669.jpgさて、突然ですがこの連休は中央線に乗って、「グーグーは猫である」の舞台である、吉祥寺にやってきました。(もちろん出張仕事もあってのことですが)

JRの駅ホームからは「ユザワヤ」の赤文字が見えました。(○Iのマークで有名な)丸井もあります。パルコもあります。そして無印良品もあります。(まあ東京ならおなじみの風景ではありますが)

f0005116_0185299.jpgそしてこの北口のアーケード街(サンロード)で見かけたのが、今の時期しか見られないであろう「グーグーだって猫である」の映画ポスターなのです。(吉祥寺バウスシアターにて上映中)

と、まあ今日はここまでにしましょう。(以下続く)
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by ttru_yama | 2008-09-24 23:59 | 大島弓子

080913 グーグーだって猫である-大島弓子の世界-2

f0005116_23292376.jpg(写真は映画の予告チラシから) さて映画では大島サンの住む、吉祥寺をあますところなく紹介しています。私は知らなかったのですが、井の頭公園のゾウのはな子(作品ではハナコ)、いつも行列の出来る佐藤精肉店のメンチカツ、商店の寄せ集まったハーモニカ横町、熱心な大島ファンなら、漫画でのエピソードを思い出しながら見ていくことでしょう。こんなところにも一ファンとしての、犬童監督の視点が見え隠れします。「森三中」演じるベテランアシスタントは、時として暗くなりそうな画面を明るくします。

アシスタントで重要なのは「のだめ」で有名な上野樹里さん(役名ナオミ)です。熱心な一大島ファンからアシスタントの座をやっと掴んだ彼女は、路上ライブシンガーの恋人マモル(ナント平川地一丁目の林直次郎クンです)との関係を通じて、四十路の大島サンに不思議な青年・青自(セイジ/加瀬亮さん)を結婚相手として紹介したりします。その部分は原作にはない映画向けのようですが、大島サンの引っ込みがちな恋愛歴や、その後の卵巣腫瘍の摘出手術に関しても、アシスタント達とともに特にナオミは深く関わっています。この二人のラブシーン(かな?)は見ものでして、加瀬さん、小泉さんの演技がいいですね。小泉さんは四十路の大島像を映画全般通じおさえめに演じています。(たぶん本物に近いのでは?)

f0005116_7511962.jpgファンとして興味深いのは全集刊行の記念パーティでしょう。「まことちゃん」の作者、楳図かずおさんが特別出演することもさることながら、大島サンのお母さん役で松原智恵子さんが出演します。(よくは知りませんがお父さんは亡くなっているようです) 大島サンの家族が出てくるのも、原作が自伝的漫画ゆえなのでしょう。母は娘の結婚を心配しておりましたね。自伝的といえば中学生時代なのか、栃木の田舎の文房具やさんで漫画を描くためのペンやペン軸、ケント紙を買い求める少女時代の大島サンが出て来ます。

はっきり言ってこの映画は、大島ファンのための映画です。なかなかメディアに登場しない大島サンの、猫のサバやグーグーに対する思い、恋愛観、病気に苦悩する姿、アシスタントとのふれあいや別れ、時にはパパラッチ的なファンも登場させながら彼女の日常生活を、井の頭公園と吉祥寺の街並みをバックに、時には明るく時には寂しく紡いで見せてくれます。そして時々画面に登場する原画はファンサービスなのでしょう。(原作はもちろん、「四月怪談」も読まないとね)
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by ttru_yama | 2008-09-18 23:25 | 大島弓子

080913 グーグーだって猫である-大島弓子の世界-1

f0005116_17473376.jpgにわかに映画づいています(笑)が、映画館の予告チラシやテレビの映画コマーシャルを見て「グーグーだって猫である」(9/6公開)を観てきました。それらの情報では「グーグー」というのは、天才漫画家・麻子の家に新しくやってきた猫だということでした。まあそれだけの内容だけでは、観に行くこともなかったのでしょうが、それがインターネットポータルサイトの1クリック記事で、原作が大島弓子サンの作品だということを知ったのでした。それも自伝的漫画「グーグーだって猫である」(現時点で原作は未読ですが)の映画化というのですから、『これはっ(観とかないと)!!』という気になったのでした。

最近といっても20年程前の「綿の国星」以来、大島作品はずっとごぶさたでしたが、初期の「ミモザ館でつかまえて」なんかは、週間マーガレットだったかを古本屋で見つけて買ったこともあったくらいでした。大島作品が変ってきたのはこの頃で、それ以前のキャラクターは現在のタッチとは似ても似つかぬ作風でしたが、すごいのは女学生の妊娠というシリアスな「誕生」という作品も描いていたことです。それらももちろん大島作品なのでしょうが、私の見てきた限りでいえば、やはり代表的な作品といえば「ミモザ館でつかまえて」以降、「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」、「F式蘭丸」から始まって、「綿の国星」という事になるのでしょうか。(あくまで個人の見解です)

大島作品の魅力は何といっても、画面と文章の織りなす詩情性ではないでしょうか。画面に散らばる星々、月、梢の葉のゆらぎ、草原、雨、暗転、ストップモーションとスローモーション。ドラマは現実と夢のような幻想の世界を渡り歩き、人生の真理をついた言葉や感情のゆらめく表現が、読む者の心を捉えます。物語の時間はそこではゆっくり流れ、読者は言葉の持つ力の余韻に浸りながら、物語の世界や主人公の気持ちに同化していきます。最近は類似の手法が、他の漫画家の作品にもよく見られるのですが、やっぱりその本家本元は大島作品からではないでしょうか。(これもあくまで個人の見解です)


f0005116_21114451.jpgさて本題の映画の話ですが、大島サン(映画の中では小泉今日子さん演ずる、大島ならぬ「小島麻子」)は愛猫「サバ(仏語:ça va?=元気?の意)」が亡くなって以来、漫画が書けなくなってしまいます。悲しみに明けくれた後、大島サンは住んでいる吉祥寺のペットショップで、新しいパートナーとなる「グーグー」(この名前の意味は最後に明かされますが、良く寝るからでもなく、お腹が空いているからでもありません)を見つけます。

映画の舞台は大島サンの住んでいる、井の頭公園のある吉祥寺(確か漫画ではチキジョージだった)ですが、冒頭にその吉祥寺を英会話学校の講師ポール(マーティ・フリードマンさん)が、英語のナレーションで説明するのが、日本の街なのに何か異世界を案内するようで良かったですね。このあたり大島作品の大ファンでもある犬童監督の演出も小気味いいことです。ところでこの外人講師ポール、初めはストーリーとも関係なくややピエロ的なスタンスで演じるのですが、映画の終盤では亡くなった「サバ」との中を取り持つ、重要な役割も持っています。「綿の国星」でいえば、まるで「幹事猫」(猫に化ける訳ではないのですが)っていうイメージの不思議な役どころでした。

(またまた長引きそうです。また次回に・・)
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by ttru_yama | 2008-09-14 21:49 | 大島弓子

080530 小原「夏の七草そば」と杉田久女句碑-17

ふとしたことで小原・松名の屋敷跡に「杉田久女の句碑」を見つけた謎を追って、久女のこと、夫宇内のこと、そしてかつてのこの小原の交通、旧屋敷の面影等を、紆余曲折を繰り返しながら書いてきました。句碑がこの地に存在したわけは、単純にいえば夫宇内の出生地であり、久女が亡くなった後にこの地に葬られた事によるものですが、書き始めた当初から私は、この地が久女の人生にとって何らかの意味を持って関連づけられないかと期待して、ここまでやってきたのでした。要するに最初からラストの話の落とし処を見つけるためにここまで長引いてしまった部分もあるのでした。

久女の墓がここにあることと、句碑が建っている存在を、久女という俳人にとってどういう意味があったのかということが、自分なりに見つけられたらそれを機に(それを「はなむけ」という飾る言葉にして)終わるつもりでいたのです。でもこれまでご覧になられたように、事はなかなか簡単にはいきませんでした。これまで久女とこの土地、親戚家族、この地で生まれた夫、この地に預けられたり疎開していた娘に関連するエピソードを追ってきましたが、私がとりわけ見いだそうとした、久女のこの土地への愛着心みたいなエピソードはほとんど見つけられなかったのでした。

残念ながら久女がこの山奥の村を気に入っていた様子は見られず、結婚当初はともかく夫との関係もうまくいってはいませんから、夫の故郷で一緒の墓に入ることとなった運命も、うらめしく思っているのかもしれません。屋敷の裏山には宇内久女夫婦の墓があり、かれこれ3回は墓に詣でたのですが、いくたび毎二人の関係を知れば知るほど、久女はもちろん夫の宇内にもかける言葉が思いつかず、何度も無言で手を合わせ帰ってきたことです。
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by ttru_yama | 2008-09-09 23:31 | 杉田久女

080906 初公開のフェルメール-1

f0005116_2154047.jpgフェルメール展があるのを知ったのは、国立西洋美術館で開催された「コロー展」(2008.06.14-08.31)の時でした。夏休みに入ったばかりの朝から陽ざしの強い日で、9時半の開館時間をいらだたしく時間を潰しながら待っていた時、目に飛び込んできたのが東京都美術館で開催する「フェルメール展・光の天才画家とデルフトの巨匠たち」(2008.08.02-12.14)の予告看板でした。といいますか、実はすでに山手線の駅にもでかでかと、その看板が貼られていたのです。

f0005116_2122846.jpgフェルメールということもありますが、駅ホームにまで及ぶ大宣伝活動は、後援にJR東日本がついたからなのでしょう。美術展ではよく電車の中吊り広告などに宣伝が載ったりしますが、駅でここまでの美術展の看板は見たことが有りません。ただこういった点では、東京に住んでいる人の美術展にめぐり会う優位さを感じてしまいます。(逆にあれもこれもと押し寄せる、洪水のような情報に気疲れするかもしれませんが・・。)まあ、少なくとも私はコロー展にいってなければ見のがしたかもしれません。

f0005116_23203361.jpgということでリーフレットの裏面には、今回公開されるフェルメールの「ディアナとニンフたち」(マウリッツハイス王立美術館/左上)、「マルタとマリアの家のキリスト」(スコットランド・ナショナル・ギャラリー/右上)、「小路(こみち)」(アムステルダム国立美術館/中左)、「リュートを調弦する女」(メトロポリタン美術館/中右)、「ワイングラスを持つ娘」(アントン・ウルリッヒ美術館/左下)、「ヴァージナルの前に座る若い女」(個人蔵/右下)が載っております。そして・・f0005116_2345672.jpg手紙を書く夫人と召使い」アイルランド・ナショナル・ギャラリー/右)の7点が公開されます。(青字は日本初公開の5点)
本当は図録には載っている「絵画芸術」(ウィーン美術史美術館/日本公開済)も、出展するはずだったのですが、輸送による保存状態の悪化が懸念されるため、急遽中止となりました。私は「リュートを調弦する女」以外は皆初めてで、特にモデルを前にして絵を描く、フェルメールの後姿が有名な「絵画芸術」が見られないのは残念です。
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by ttru_yama | 2008-09-07 21:30 | ギャラリー

080905 スカイ・クロラ-2

f0005116_1215328.jpgさてまた書くとは思っていなかったスカイ・クロラ-2です。(笑) 東京都美術館で開かれているフェルメール展に行く途中、本屋さんで押井守著「他力本願~仕事で負けない7つの力~」(2008・7・30発行、幻冬舎)を(何故かMOEの10月号とともに)買ってしまいました。で、最初は[何だろう?、この小難しいビジネス本まがいのタイトルは?!]と思いましたが、開いてみると「スカイ・クロラ」の映画製作に関し、押井さんがどのように情熱を持って進めてきたかという本でした。巻末には彼の生い立ちからスカイ・クロラ製作までの映画人生が綴られています。(この部分はつつみ隠さず赤裸々に書かれているので、これを見ると監督の見方が変わるファンもいることでしょう)

ただこの本にはさまざまな挫折と失敗を重ね、映画に打ち込んできた押井さんの仕事哲学が、その貴重な経験を通し具体例をあげて分かり易く書かれおり、読書スピードの遅い私でも一気に読んでしまいました。特にスカイ・クロラは観たばかりの映画なので、「ああ、あのシーンはそういう意図を含んで作られていたのか」とか、映画製作の関係者と何度も「こもり」とよばれる、缶詰状態の企画会議を続け、世界の監督をうならす押井映画が作られてきた事が良くわかります。特にこの本のタイトルである「他力本願」という言葉は、押井監督が自分よがりで興行的に失敗した過去の映画製作から学び、自己を持ちながらも他人の意見を慎ましく聴き、自分一人の力だけではどうにもできない映画という大きなプロジェクトに、他人の協力を得ながらあたっていくことが意味されているようです。

ここからは、映画を観てからのほうが・・
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by ttru_yama | 2008-09-07 15:37 | 本・映画・ドラマ

080902 スカイ・クロラ-1

f0005116_22401297.jpg(「久女」を少し中断して)仕事の後、ベネチア国際映画祭コンペティション部門にもノミネートされた、押井守監督の「スカイ・クロラ(The Sky Crawlers」を観てきました。(写真:プログラム表紙) さすがに8月2日の公開から1ヶ月が過ぎており、上映時間帯が18時以降に追いやられ、それも平日とあっては観客もまばらな状況でした。アニメの世界で(実写作品もあるそうですが)押井という、すごい監督がいるという話は噂で聞いていたのですが、「攻殻機動隊」も「イノセンス」も見た事がなく、今回が初めての押井映画でした。その押井プロデュース作品との出会いは、2005年の愛知万博の時の「めざめの方舟」からで、難解なプログラムでしたが、恐ろしい顔をして100体以上も並ぶ巨人像には圧倒されたものでした。最近ではNHKの「ようこそ先輩」で、自身の映画などを例にとって"非日常の風景"の話をしておられましたね。

「スカイ・クロラ」の公開前のメイキング映像をテレビで見ていた時、監督の口から日本アニメの危機の話が出たのはショックでした。なんでも若い映像作家を育てて来なかったツケが、回ってきているというのです。アニメは日本のお家芸で、世界のトップを走っているものと思っていたのに、そんな最先端みたいな世界でも、アニメ技術に対する若手育成が、されていないというのでした。さてそんな監督が出合った原作本が、ミステリー作家・森博嗣(ひろし)氏の「スカイ・クロラ」シリーズでした。

Sky Crawlersとは「空を這い回るもの」という意味で、主人公は「キルドレ」と呼ばれる成人にならない子供(といっても青少年という感じ)です。彼らは戦争請負会社のパイロットとして、大空を舞台に敵の戦闘機を撃墜する空中戦を演じるのです。戦争自体はショーですが、そこでは実際に戦闘員であるキルドレ達が死ぬ事で、人類に現世が平和であることを継続して認識させるため、公認ルールに基づいて戦争が行われているのです。

映画の進行にしたがって分かってくるのは、あるパイロットが死ぬと、新たなキルドレのパイロットが補充されてきます。カンナミ・ユーイチもそうしたパイロットでした。上司の女性基地司令官クサナギ・スイトもキルドレですが、新しく配属されたユーイチに、かつての恋人であるクリタ・ジンロウの面影を抱いてしまいます。噂ではジンロウはスイトに銃で撃たれて死んだといいます。生きてさえいれば永遠の若さでいられるキルドレの中でも、スイトはパイロット達よりもずっと長生きして、繰り返し繰り返し、愛と別れの日常を継続してきたのです。

一方配属されてきた、ユーイチ達のような新しいパイロットは、子供の頃の成長記憶さえ覚えていないのに、まるで他のパイロットの操縦技術を移植されたかのように、戦闘機を操作できるのです。ある新任パイロットなどは、亡くなったパイロットのクセまでそっくり受け継いでいるかのようにふるまいます。こうした点でスイトは初めてあったユーイチに、優秀なパイロットだったジンロウの面影を見いだし、二人の関係は深く結びついてゆくのですが、それはスイトにとっては自身が永遠の命を持ったキルドレであることから来る、物事が永遠に繰り返し、終りがないかにみえる破滅的な愛でした。

スイトもパイロットとして出撃し、敵である無敵のエースパイロット「ティチャー」に戦いを挑みますが撃墜され、なんとか生還します。スイトが精神的に異常をきたしている中で、ユーイチはスイトに「君は生きろ」と言い残して出撃します。出撃のさなかユーイチは、
「いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも通る道だからって景色は同じじゃない。何もかもが同じことの繰り返しとはかぎらない。」とつぶやき、そして「ティーチャー」に空中戦を挑むのでした。結末は・・(自分で観てくださいね。(笑) ただ言えることは最後の最後まで観ることです。そうすると物語は・・でも次はきっと何かが・・と思いたい!!)

ということで、ストーリーを追うだけで、かなりページを使ってしまいましたが、押井監督のメッセージはユーイチのつぶやいた言葉にあります。人それぞれそのメッセージについて感じ方は違うのでしょうが、死ぬまで果てしない戦争を続けるキルドレも、一般市民である私たちもそれほど変わりはないんだ、と思いました。大事な事は同じような毎日でも、「意識を持ってその小さな違いに気付こう」と言われているんだと思いました。「昨日そこにいた僕は、今生きている僕じゃない。何か昨日と違っている僕になっているはずだ。

ほんの小さな変化でも、もしくは変わっていなくても、昨日より何か少し違っているはずだ、という意識を持って生きてみると、この世に生きている何かの足跡を残せるのかもしれません。
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by ttru_yama | 2008-09-04 00:09 | 本・映画・ドラマ