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080523 レトロ豊橋の風景展-1

f0005116_21331266.jpg「お出かけ」といっても仕事の合間の話ですが、愛知県豊橋市にある二川宿本陣資料館へ行ってきました。狭い旧道沿いに大きな木組の門があり、乗り入れるとそこが駐車場でした。現在ここでは「レトロ豊橋の風景展」(2008.4.26-6.8)を開催中です。豊橋市は明治39(1906)年8月、全国で62番目に市制を敷きます。愛知県下では明治22(1989)年10月の名古屋市に次ぐ2番目の市となります。東海道を江戸から辿ると、遠州路から三河の二川宿(33番目)に到着します。その次の宿が吉田宿で、古くから東三河の中心都市である豊橋市なのです。


f0005116_2334298.jpgその吉田の町は吉田藩の城下町で、豊川(とよがわ)のほとりに吉田城がありました。城は維新後に明治政府の管理下に置かれ、敷地は兵部省が管轄していました。もともと天守閣はなかった城ですが、明治6(1873)年の失火で建物の多くが消失したといいます。

ところで豊橋市を通ることはあっても(かつて美術博物館へは行きましたが)、素通りがほとんどですので、現在は豊橋公園となっている吉田城址へ初めて行ってみました。写真は昭和29(1954)年に再建された隅櫓・鉄櫓(くろがねやぐら)で吉田城のシンボルともなっています。

f0005116_2321363.jpg建物の背後はのどかに豊川が流れ、左川下に吉田大橋が架かっています。車で国道1号線を走って豊橋市に向かう時、吉田大橋付近でこの鉄櫓が見えると豊橋市にやって来たと感じるのですが、今日初めてその城址に立つ事が出来ました。(笑)
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by ttru_yama | 2008-05-25 00:03 | お出かけ

080503 「ごんぎつね」に会いに

f0005116_9542098.jpg今年のゴールデンウィークは八ヶ岳方面へ行ってきました。まず中央道小淵沢ICを出てJR小海線甲斐小泉駅の前にある、「平山郁夫シルクロード美術館」(1999.7~)へ行き、薬師寺に納められている大唐西域壁画の下図(展示3/9~7/6)を鑑賞しました。下絵ながらその迫力に圧倒されたことです。そしてその美術館の周辺案内パンフレットで、「黒井健絵本ハウス」が隣町の高根町にある事を知りました。従来これらの町は北巨摩郡下にありましたが、2004年11月に清里で知られる大泉村他、周辺の町村合併で北杜(ほくと)市が誕生しています。

そこで早速「ごんぎつね」(写真:絵本表紙/ポストカード)に会いに行く事となりました。もちろん「ごんぎつね」は愛知県半田市岩滑(やなべ)町出身の童話作家「新美南吉(1913-1943)」の作品ですが、その童話に黒井健(くろいけん)氏が挿絵を描いた絵本が1986年9月に発行されています。 その後この黒井氏の絵本は小学校の教科書用に編集して転載されました。(「ごんぎつね」自体の教科書への初掲載は1956年だそうです)

きつねの「ごん」が、病気の母を持つ若者「兵十」をからかおうと仕向けたいたずらから始まった、二人の心のすれ違いの悲しくも切ない物語は、南吉童話の中でもっとも知られる作品となっていますが、黒井さんのノスタルジックな画調により、その情景がいっそう拡がりをみせ、悲しいラストへと読者を導いて行きます。(ラストシーンのやるせないことといったら・・) ごんぎつねの挿絵は多くの絵本画家が描いていますが、このようなこともあり、もっとも浸透しているのは氏の作品かと思います。

f0005116_22213047.jpg清里の中心部から少し外れた道路沿いに「黒井健絵本ハウス」はありました。こじんまりとしながらも高原の風景にも調和した建物は、1階が受付・グッズ・展示コーナーを兼ね、2階には展示コーナーの他に外の景色を見ながら、読書のできる小スペースがあり、絵本作品が種々置かれていました。

ちょうど作者本人も在館しており、訪れるファンの購入した絵本にサインをされていました。絵本「ごんぎつね」に寄せる氏の想いをホームページでみると、この作品は氏にとっても特別な作品だったようです。最初に絵を描いた取材時はもちろんのこと、その後も愛知県半田市の新美南吉記念館を訪れています。「ちょっと不思議な建物でしょう?」と、私が南吉記念館の感想を尋ねると、にっこりとうなづかれていました。
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by ttru_yama | 2008-05-18 23:04 | お出かけ

071208 フェルメール「牛乳を注ぐ女」への道-10

f0005116_1628669.jpg071208 フェルメール「牛乳を注ぐ女」への道の続き(最終章「牛乳を注ぐ女「The Milkmaid」1658-1659)です。(このポストカードでは右方向が少しカットされています) 東京国立新美術館での対面からすでに5ヶ月、記事をもったいぶって最後にしていたので、その間に記憶は薄れ、書こうとしていたこともおぼろげです。(笑)
この絵は最初の「黄金時代」の風俗画コーナーが終わり、次の部屋に移る曲がり角の前に絵の解説やら分析コーナーみたいな一角があり、表面上からの解析やX線写真や赤外線写真による科学的な目でも絵の分析をビデオ等で説明していました。

こういう蘊蓄コーナーは絵を深く観るために重要な場合もありますが、時として種明かしを先にするマジックを見せられるような一面が有り、鑑賞上で主題がそちらに流される危険な一面を備えています。できれば解説は後にしてまず本物を見させてから、解説コーナーを後に付け加えた方が良いのでしょうが、フェルメールのような人気展においては、ギャラリーの流れを後戻りさせることのないような配慮が必要だったのか、解説コーナーが先に置かれていました。隣の実物の部屋への入口は広くて、行き来が自由にしていることからも主催者の意図(本物を見たい人はお先にどうぞ)が何となく汲みとられました。

f0005116_16315922.jpg実物の絵は45.5×41cmの絵で、小さな絵だとは思っていたものの、その思いをさらに下回る印象でした。解説コーナーでも同様ですが美術番組等で、各部が細かくクローズアップされるので実物以上に大きな絵だと刷り込まれているのです。ただ会場に取り付けられた絵はやや高めにあり、間近とはいかず仕切りのため少し離れて見なくてはなりません。こうなると解説コーナーも別の(映像を通して間接的にはなりますが、間近で観るという)意味を持ってきます。

さて絵(写真は塗り絵の原画見本より)はメイドが固くなったパンを煮込もうとして、鍋にミルクを注ぎ込んでいる一瞬を描いています。ただそれだけの絵なのですが、絵のリアリティさ(机の角度がおかしいとか、調理する場としては位置が不自然だとかいうことを除いて)も相まって、ミルクが流れ落ちて行く瞬間を切り取ったフェルメールの魔術に囚われることとなります。メイドの視線もミルクに注がれていますが、鑑賞者の眼も流れるミルクの一筋に注目させられます。(この絵の消失点は、メイドの注ぎ手の上にあるそうです)
よく言われるようにこのミルクは注ぎはじめた所か、注ぎ終わろうとしているところか、それとも中間なのかそんな事も思ってしまいます。でもすでにその時点で鑑賞者はフェルメールの意図した、魔法にかけられているように思います。フェルメールはとにかく、この瞬間を見せたかったに違いありません。その主体を浮き上がらせるため、フェルメールは壁の絵(地図?)を消し、足元のあんかの後にあった洗濯籠を消し、瓶を支える左腕を書き直したり、パンのリアリティを増す為に砂粒を混ぜ、青衣を描くため高価な宝石を砕いて作った(俗にフェルメールブルーと呼ばれる)、ウルトラマリンを惜しげも無く使ったことでしょう。

かくして、「真珠の首飾りの少女」においては、少女が振り向いた動から静への一瞬を捉えたように、このミルクメイドの絵ではミルクが注ぎつがれる瞬間が、永遠の時間となって流れていきます。
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by ttru_yama | 2008-05-11 17:39 | ギャラリー

080429 河鍋暁斎の描こうとしたもの-1

f0005116_6391437.jpgいろんな記事が中途状態なのですが、連休中盤に京都国立博物館(4/29)に行ってきました。ここでは「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai -近代へ架ける橋」展(2008.04.08-05.11)を開催しています。早朝列車に乗って、9:12分に到着した京都駅ホームは人浪でごった返していました。駅前のバス乗場D-2(博物館・三十三間堂方面)も長蛇の列で、とても到着したバスには乗りこめないと思いましたが、なんとか寿司詰め状態で七条に向かいます。そして到着したのが写真の京都国立博物館(旧帝国京都博物館・明治30年5月開設)です。設計者は片山東熊(かたやまとうくま/1854-1917)で、中央玄関の左右にドームのある形状が、辰野金吾が設計した東京駅(大正3年竣工)を思い起こします。

f0005116_7431694.jpgゲート前にあるのは暁斎展の看板で、河鍋暁斎(1831-1889)が明治2年(39歳/数え年))から明治5年(42歳)頃にかけて描いた「地獄極楽めぐり図」の1枚「極楽行きの汽車」で、パトロンである小間物問屋・勝田五兵衛の娘「田鶴(たつ/14歳没)の追善供養のため製作されました。(以下は私の思った絵の様子ですが)天女が天空を舞う中、仏式に仮装された田鶴の乗るであろう汽車が出発しようとしています。手前にはそれを見送る為に人力車で駆けつける母子も見えます。写真ではわからないと思いますが、人力車の車夫は前引きが馬の顔で後押しが山羊の姿をしています。この看板はこうして、ほんの少しですが暁斎の絵の特徴を表そうとしています。

f0005116_8351048.jpg左は(行ってませんが)同じ期間中に京都国際マンガミュージアムで開催している、「明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展」のリーフレットで、 暁斎を日本漫画の先駆者としてとらえた展示内容となっています。私が河鍋暁斎のことを知ったのは、この3月1日に放送された『美の巨人たち 河鍋暁斎の「大和美人図屏風」』からでした。ここから多彩(多才)な暁斎の絵の不思議ワールドに魅せられていくのです。いったい暁斎とはどんな絵描きだったのでしょうか。そしてもう一つこの番組で、ある英国人と暁斎の深い人間関係を知ったのでした。

f0005116_8543228.jpg右がその「大和美人図屏風(ポストカードより)」(明治17~18年)で暁斎54から55歳の時描かれた二曲一隻(にきょくいっせき)の屏風絵です。ごらんの通り秀逸したタッチの美しい絵で、着物の柄の細部までが丁寧に描かれています。特に右の牡丹を持った美人画は、背景にある屏風画の中まで、四季が細やかに描かれています。この屏風絵は晩年期の暁斎が、修練を重ねた英国人の愛弟子コンテールに贈ったもので、その後遺族からコレクターが買い、現在はこの京都国立博物館に寄託されています。
その愛弟子は一般的には「ジョサイア・コンドル(1852-1920)」と呼ばれ、明治10年に24歳の若さで創生期の明治政府に呼ばれ、お雇い外国人として日本人建築家を育成し、日本の建築界の基礎を築きました。そして片山東熊や辰野金吾もそのコンドルの教え子であり、コンドル自身も鹿鳴館等数多くの明治建築物の設計をしています。またいつか?この続きを書きたいと思います。
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by ttru_yama | 2008-05-06 10:27 | ギャラリー