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060819 きらりの時代展-4

f0005116_22551026.jpg話があちこちしますが、本日(9/30) 愛知県岡崎市を舞台にした、NHK連続TV小説「純情きらり」の最終回が放送されました。よってそちらの話の続きをしたいと思います。最終回は涙無くしては語れない展開になってしまいました。当時結核は死因の第一位となる国民病(この言い方もすごいですね)で、ほとんど不治の病でした。この感染力の強い病気故、ドラマの展開上「我が子を抱けない」とか、すごく物語をドラマチックにした事です。ラストもいいけど、桜子が輝一の映像に手を伸ばすシーンなど、涙ものでした。

f0005116_23114620.jpg私的には主人公の桜子を、(味噌屋、山長の女主人「かね」の時もそうでしたが)そんなに「急に病人にせんどっておくれん」、みたいな感じでしたが、ドラマではピアノ線まで供出した戦時中の「金属回収」(写真はS17.12.8の梵鐘供出/山中小学校)の出来事や、結核の特効薬ストレプトマイシンが登場するのが昭和23年と、ギリギリのところで史実に照らし合わせて、うまく作られているので、まあ許すことにしましょう。(笑)


f0005116_2327659.jpgさて、きらりの時代展では、番組で使用された絵画も展示されました。これは冬吾が描いたダンサー、マリの絵です。そういえばマロニエ荘の異端児、マリはどうしてるのでしょうね。八重や八洲治など絵画グループの人間は、最後近くまで出ていたのですが・・。(隠れマリのファン)

f0005116_23345677.jpg杉冬吾の竹千代橋風景。冬吾が岡崎でくすぶってた当時は、この絵は見向きもされませんでしたが、杉先生と呼ばれる現在では、だいぶ高値がつくことでしょうね。冬吾は何度も死ぬのかと思わせて、その度ハラハラさせてくれました。でも桜子も冬吾も亡くなっちゃったら、笛子がかわいそうですもんね。



f0005116_23415293.jpgそして今回の目玉展示、出演者の手形(写真は桜子のもの)です。今日30日の最終回を記念して、岡崎公園の坂谷橋(さかたにばし=竹千代橋の上流))付近に「純情きらり手形の道」が出来、手形などが設置され桜子の弟、勇太郎役の松澤傑さんを招いて、除幕式があったそうです。というわけで駆け足でしたが、「きらりの時代展」これにて終了です。あ、そういえばお巡りさん役楠見彰太郎さんの出番、たしか戦後は見なかったですね。地元ファンにはさみしい出来事でした。
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by ttru_yama | 2006-09-30 22:56 | お出かけ

060916 日本近代洋画への道-3

f0005116_22271241.jpgと、美術館で中途退出スタンプを押してもらって向かったのは、こんな(私には)場違いな茶室でした。この茶室は刈谷市美術館の隣に建つ付属施設で、「佐喜知庵」と言います。昭和58年6月に美術館と同時に開館した佐喜知庵の名は、明治23(1890)年豊田式木製人力織機を製作した、豊田佐吉から来ていますが、くわしい説明についてはこちらのページにあります。というわけで、茶室の作法もわきまえず、写真までとってきたのはこれが為デス。(掟破り!)


f0005116_2363999.jpg美術館の展示との連携企画で、「鮭図」をイメージした練り物のお菓子で、抹茶を一服どうぞというわけですね。
ほら、ちゃあんと「荒縄」もあって、「半身の鮭の向き」もあっているじゃありませんか。お抹茶茶碗は廻してる内に、どこが正面か判らなくなりましたが(笑)、甘くておいしいお菓子には、ほどよい苦さのあたたかい抹茶が最高の組み合わせで、午後のひとときゆったりした時間を過ごす事が出来ました。
呈茶券は美術館事務所で、300円で購入できます。また呈茶時間は午後1:00~3時となっています。
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by ttru_yama | 2006-09-23 22:29 | ギャラリー

060916 日本近代洋画への道-2

f0005116_2016355.jpg「日本近代洋画への道」の展示は、江戸時代の長崎の洋風画、遠近法をとり入れた丸山応挙(1733-1795)、狩野派から洋画に転じた司馬江漢(1747-1818)等(もっと以前の展示もあるが)から、すでに近代洋画が始まっているように見せています。そしてイラストレーテッド・ロンドン・ニューズ誌の記者、チャールズ・ワーグマン(1832-1891)<上段左、百合図>の時代となります。

ワーグマンはコミカルな漫画も書いていますが、横浜の居留地で高橋由一(1828-1894)、五姓田義松(ごせだよしまつ、1855-1915)等に油絵、水彩画の指導をします。このあたりからが一般的に、「鮭図」につながる日本近代洋画の出発点と言われています。また大政奉還により将軍職を退いた、徳川慶喜(1837-1913)も「湖畔風景」という油絵を残しています。

先に案内チラシに載ってる絵だけ紹介しておきましょう。上段右<床次正精、城>,中段左<青木繁(1882-1911)、二人の少女>、中段右<百武兼行(1842-1884)、ブルガリアの女>、下段左<藤島武二(1867-1943)、ヴェニス風景>、下段右<黒田清輝(1866-1924)、黒田清兼像>です。百武兼行(ひゃくたけかねゆき)などは、明治4年の岩倉欧米視察団の、鍋島藩の経済を勉強する留学生で、何度も渡欧する間に西洋画を学びます。

と、いったん美術館をぬけ出します。
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by ttru_yama | 2006-09-18 21:02 | ギャラリー

060916 日本近代洋画への道-1

f0005116_23295421.jpgきらりの時代展の続きは、またいつか・・ということで、「日本近代洋画への道」 高橋由一~藤島武二まで─展が、愛知県刈谷市美術館で公開(2006.9.16~10.29) されています。 初日の土曜日の午後だというのに、それほど人出が無いのは、ローカル美術館的で、じっくり見る私には、大変結構な事です。

入館券に掲載されているのは、美術の教科書でも日本近代洋画の先駆者として紹介される高橋由一(たかはしゆいち)の、「鮭図」ですが2001年の旅の途中、茨城県笠間の日動美術館でみています。おそらくその時が全国を巡回中の、「日本近代洋画への道」 展の最初の展示会だったのではと思います。ですから「鮭図」(板・油彩)とは、実に5年ぶりの再会だったわけです。


f0005116_024175.jpgところが、記憶というのは全くいい加減なもので、今回あらためて見て写真のように、鮭の頭には「会符(えふ)=荷札 」がついているのですが、「あれっ?、そんなものついてたっけ」というお粗末です。本当に5年前の「鮭図」なのか気になって、ネット検索してみました。結果は5年前見たもので良かったのですが、検索した途上ですごい?事が分かったのでした。

ナント高橋由一(1828-1894)の鮭の絵は7点現存するというのです。おまけに東京芸大美術館所蔵の「鮭」 (紙・油彩/重文)は、左右が逆で身のそがれ方も半分なのです。山形美術館所蔵の「鮭図」 (キャンバス・油彩)は、向きは同じで半身だけそがれた、中間的な存在です。では、教科書に載ってた絵はどれという事ですが、東京芸大の「鮭」(「鮭図」ではなく「鮭」)のようです。しっかり確かめようとして教科書を探しましたが、残念ながらとってあったはずの教科書は、どこかへいってしまいました。(笑)

f0005116_1034643.jpg高橋由一は写真のような「鯛図」も残しています。まあ、今時の超レアリスムの絵画から見れば、「そこそこの絵かなという感じ」かと思いますが、時代を考えればおどろくべき描写力です。ウロコの金色に光る様や、目の辺りの表現などには感嘆させられます。
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by ttru_yama | 2006-09-16 23:36 | ギャラリー

060819 きらりの時代展-3

f0005116_1049171.jpg時間がなかなかとれず、ずいぶん遅くなりましたが、今日は岡崎の通りの写真です。これは昭和11(1936)年、市制20周年時の康生通りです。旗や提灯にある、岡崎市の市章は変っていませんね。歩いている人の着物も、お出かけだからという訳でも無く、普段着が着物なのでした。(笑)



f0005116_1056950.jpg昭和37(1962)年6月まで走っていた、岡崎市内線の廃止の日の花電車の様子です。「63年間ありがとう」と電車の側面に書かれています。こちらの鉄道愛好館さんのページに、くわしい岡崎市内線の記事があります。後ろの看板はパン屋さんで、「オカザキ」の文字があるのは、昭和8(1933)年創業の「オカザキパン」のことでしょうね。





f0005116_1116332.jpgえっ火事?!・・ではなくて、昭和39(1964)年10月の、東京オリンピックの聖火リレーの写真です。岡崎の町も、聖火が駆け抜けていったんですね。市役所前と注釈がありましたが、当時の市役所は現在地と同じですから、写真の道路は国道1号線のようです。どの窓からも職員さんが見ています。
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by ttru_yama | 2006-09-09 11:28 | お出かけ