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カテゴリ:ギャラリー( 69 )

1304 ポール・デルヴォー展-5

それでは、「夜の訪問者(<夜の使者>(1980年)のための習作」(1980)から、みて行こうと思います。「トンネル」(1978)でもみてきましたが、デルヴォーの大作の背後には必ず習作があります。
そしてその正式なる作品は、全体構成は似通っているものの、かなり習作を超えた絵に仕上がっています。

私が今まで観てきた美術展でも、比較するため並べて展示された習作は多くありましたが、このデルヴォー展ほど習作と正式作品の様相が異なったものは、あまり記憶にありません。
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ということで、こちらが正式な「夜の使者」(1980)で、デルヴォー83歳の作品ですが、この年齢にしてこのような溢れ出るイメージの変化、いったい中央にいた黒マントの男は、どうして花のコサージュ帽子の婦人に入れ代わったことでしょう。

そして左後方にいる、デルヴォー作品の狂言回し的なリーデンブロック教授は、彼女に何を話しかけているのでしょうか。ほんとに2つの絵の間に何が起こったのか、デルヴォーに聞いてみたいぐらいです。

ただ画面構成上からいえば、今回は横長画面から縦長画面になっていますが、それは背後の広大なギリシア・ローマ遺跡の奥行きと、中央の女性のやってきた道のりを現す事に成功しています。また習作のごちゃごちゃした人物構成が、縦長画面にすっきりと収まっています。

そして何といっても、(私が「ローの婦人」のポーズと言っている)右端の女性の仕草と、リーデンブロック教授がいることで絵に動きとドラマ性が生まれ、より幻想的な絵に仕上がっています。
くり返しになりますが、デルヴォー作品には有名な「こだま」(1943)のような、いわゆるシュルレアリスム的な絵もありますが、単にその枠にはまらない絵も多いことです。

たまたまシュルレアリスムの時代に影響を受けた作品もあったと思いますが、デルヴォーが影響を受け続けたものはギリシアローマ世界であり、鉄道であり、骸骨やヌードだったように思います。異質なものが同じ空間に同居し、それらが何ともいえず融合する不思議さ。それがデルヴォーが追い求めた風景だったのでしょうか。(おわり)
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by ttru_yama | 2013-05-11 23:00 | ギャラリー

1304 ポール・デルヴォー展-4

f0005116_8562029.jpgこちらの絵ではギリシア建築的な要素は、背後に小さく隠れてあまり前面に出てきませんが、代表作の一つ「トンネル」(1978)です。
トンネルを潜ってやって来た列車が着いたのは、地下駅の広場でたくさんの人々が送迎待ちをしていて、そこからは地上のギリシア的世界に、続く階段があるといった感じにも見えます。

この絵にも「<トンネル>(1978年)のための習作」(同年)があり、画面は縦構成で中央部の鏡に写った像の前には、女の子自身も描かれています。(類似の、横長構成の習作もあります)
その絵では鏡の脇には裸婦が寝そべっていたり、背後でポーズをとっていたりして、少しせせこましい空間でしたが、それが本作では横向き構成となり、裸婦も右手の一人が前面に出てるくらいで、裸婦群像も背景に小さく収まって、そのぶん絵に奥行きが出ています。

この絵の特徴的な少女の鏡像は、鏡のこちら側(つまり少女の目)から見た広場は、あたかも鑑賞者から見た、幻想的な絵の世界を意識させてしまいます。だから前面の一列にならんだ人物の並びが、あたかも絵の世界との境界線のような効果さえ感じるのは、ちょっと深読みしすぎでしょうか。

f0005116_733129.jpgポール・デルヴォーの作品には、同じ様なポーズの絵が時を隔てて出てきており、次にその話をしたいのですが、この「ローの婦人」(1969)がその原点となる絵です。
ローとはフランス国境から10キロ程、北海からも20キロ程にある町の名ですが、デルヴォーは1969年ここより10数キロ北方のフュルヌに家を購入しています。
解説によれば読んでいる本は、「オデュッセイア」のようですが、こんなポーズがその後の絵にも登場します。


f0005116_9132066.jpgそしてこちらが11年後の「夜の使者」なのですが、右の女性のポーズがよく似ていて、私にはデルヴォーのお気に入りのポーズだったのかなと思えるのです。

ということで、この作品についても書いてみたいので、デルヴォー展の感想あともう1回延長です。(笑)
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by ttru_yama | 2013-05-04 10:00 | ギャラリー

1304 ポール・デルヴォー展-3

f0005116_225449.jpgこの絵「<伝説の旅>(1974年)のための習作」(1974) のように、デルヴォーは列車、特に汽車が好きで、作品にはそれらがよく登場します。

今回の展示物の中にも、デルヴォー自身が蒐集した、汽車のカンテラやランプなどがあり、今の世で言う「鉄道お宅」の一面を窺う事ができます。しかしデルヴォーにとっては、汽車は趣味以上のものであり、絵の重要なモチーフなのです。

そんな中の初期の作品「リュクサンブール駅」(1922)では、列車そのものが主題でしたが、この<伝説の旅>ではヌードもしくはロングドレスの女を左右に配し、月夜の幻想的な雰囲気を出しています。

f0005116_23391598.jpgそして「<エペソスの集い>(1967年)のための習作」(1967)という作品になってくると、これまたデルヴォー作品の重要な要素である、ギリシア・ローマ建築の要素がさらに加わってきます。

鉄道趣味と同様、ギリシア・ローマ文化への傾向も幼少期からということで、年表によれば1938、39年にイタリアへ、1956年にギリシア・イタリア旅行、1964年に2度目のギリシア旅行をしています。

作品のタイトルにあるエペソスとは、トルコ西部エーゲ会に面したイズミル県のセルチェク近郊にあった古代都市で、ギリシア語でエフェソス、トルコ語でエフェスと呼ばれる、アルテミスの神殿があった所のようです。

f0005116_22154136.jpgで完成版の、「エペソスの集い Ⅰ」なる作品はどうかというと、他の画集でも見当たらなくて、この作品が「エペソスの集い Ⅱ」(1973)です。

中央に横たわる裸の女や列車、背後のギリシア建築はほぼ共通素材ですが、左右の人物構成がだいぶ複雑になっています。しかしデルヴォーの他に誰が、ギリシア建築・列車・ヌードを一枚の絵に描いたでしょうか。それも何作にもおよんでのことです。

もう1回ほど話を続けるつもりなので、あまり結論づけみたいな話は早すぎるのですが、今まで見てきただけでも、デルヴォーを単にシュルレアリスムの画家、と言う枠でくくってしまうのは、デルヴォーに失礼な気がしてきたところです。(つづく)
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by ttru_yama | 2013-04-26 23:00 | ギャラリー

1304 ポール・デルヴォー展-2

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さて・・、よく知られる「夜明け」(1944)と題したポスターカードを貼ってはみたものの、最初から言葉につまります。(笑)
建物内にいるギリシャの女神的な人物と、裸に薄絹をまとって外庭の石畳を歩く女(この部分を左余白に拡大しました)との邂逅といった絵です。拡大した女のほうは建物の中の女を見ているようですが、中の女はほとんど無表情です。

こんな絵を描くから、シュルレアリスムの画家と呼ばれていますが、デルヴォー自身は「そうでないと言わないまでも、本当にわたしがそうかどうか確信がありません。」と言っています。

f0005116_9594520.jpg年表によれば、1927(30歳)年、デ・キリコの作品を見て圧倒されたとのことで、このあたりから裸婦像が増えてくるのですが、1927-1928にかけて「森の中の裸体群」という作品を描いています。
この絵がどの程度シュルレアリスムの影響を受けているのか、素人の私にはしっかり評価はできませんが、人物の無表情な様子は「夜明け」他、その後のデルヴォー作品に先駆けるような絵に思えます。

f0005116_100224.jpg骸骨と裸婦が、同じポーズをとっているのは「会話」(1944)という作品。
デルヴォーは、7歳(1904)の時、学校で骸骨標本をみるのですが、この作品のように後になって骸骨も、絵のモチーフとなってきます。

この絵もそうですが「磔刑Ⅱ(1953年)のための習作」などでは、キリストや嘆く人々と化した骸骨の方が、かえって表情豊かに描かれています。
(つづく)
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by ttru_yama | 2013-04-22 10:40 | ギャラリー

1304 ポール・デルヴォー展-1

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f0005116_647278.jpg岡崎市美術博物館で公開中の「ポール・デルヴォー展」(2013.4.6~5.26)に行ってきました。絵のタッチは何となく見た気はするのですが、その画家の名前はポール・デルヴォー(ベルギー/1897-1994)というのでしたかという、そんなレベルでした。

ということでベルギー人いうことも会場の年譜で知り、その上キャプションにあるオリジナルタイトルが仏語表示だったので、「えっ、ベルギーってフランス語なん?」という、極めて低レベルからのスタートなのでした。

そんなわけで、まずはGoogle MAPでベルギー(ピンク枠内)の位置からです。(笑) フランスの東隣で、オランダの南、イギリスもそんなに遠くないんだ。そして地図中央部に赤線を引きましたが、北部がフランドル地域で、地域言語はフラマン語(オランダ語)。ちなみにフランドルは英語でフランダース、そうネロとパトラッシュの「フランダースの犬」は、英国人作家ウィーダの作品なのです。

そのフランダースの犬の舞台となった、北の街アントワープ(アントウェルペン)(紫〇印)にはノートルダム大聖堂があり、貧しいネロが死の間際に見たという、かのルーベンスが描いた祭壇画が天井に飾られているわけです。(ううっ!)
そして赤線の少し上の赤〇印が、首都ブリュッセルのあるブリュッセル首都圏地域。ここではオランダ語・仏語両言語が使われています。

次に赤線の南部の区域が、フランス語圏のワロン地域(実際にはドイツ国境に少しドイツ語圏がある)となります。このワロン地域のリエージュ州アンティ(右の青〇印)で、ポール・デルヴォーは生まれました。ですからキャプションが仏語だった訳です。(と、納得)

ことのついでに言いますと、左手赤線直下に入れた緑〇印はエノー州レシーヌで、同年代のシュルレアリスムの画家、ルネ・マグリット(1898-1967)が生まれています。
(と、今週はここまで)
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by ttru_yama | 2013-04-12 08:00 | ギャラリー

1211-1302 フェルメールの少女、12年越しの再会-9

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さてマウリッツハイス美術館展、フェルメール以外でも気になる作品が多くあります。ライスダールの風景画も久しぶりですが、ベイエレンの「豪華な食卓」も相変わらず、てんこ盛りのにぎやかさです。

でもヤン・ステーンの人物のにぎやかさはまた別物です。「フェルメールの少女、12年越しの再会-6」の「喧嘩するカードプレーヤー」でも12人の人物が描かれていますが、この「親に倣って子も歌う」(1668-1670)でも10人登場します。

まあ21人も登場する「オレンジ公の日」(1660-70)なんて作品もあるようですが、いつも通りのにぎやかさですね。
もちろん犬も重要なアイテムで、この絵の犬は家族の騒々しさと別の方角を向いてる感じがして好きです。
f0005116_9552132.jpgステーンのにぎやかさに比べ派手さは全くありませんが、ピーテル・デ・ホーホの絵は市民の日常風景の一コマが描かれています。この「「デルフトの中庭」(1658-1660)も、そんな生活の一端を伝えています。

図録解説によれば登場人物はくつろぐ紳士と、メイドそしてメイドの子供ということですが、紳士にビールを勧められてちょっと一口といったことでしょうか。でもこの絵からはそれ以上の艶っぽい展開が窺え無いところが、ホーホの魅力かも知れません。

ホーホはロッテルダム生まれでアムステルダムで没していますが、1652年から10年足らずデルフトに住んでいたということで、フェルメールとのつきあいもあったようです。2008年の「フェルメール展」(東京都美術館)、この時はフェルメールの「小路」(1658-1660)他が来ていましたが、同時に来ていたホーホのデルフト時代の女性と子供を描いた生活風景は、よりくわしくデルフトの暮らしを伝えていました。

f0005116_10383987.jpgそして大御所レンブラント(1606-1669)の貫祿の自画像です。で、この絵の制作年代が1669年ということで、63歳で亡くなった年の絵というから驚きです。

この絵の自画像からは、美術品購入の浪費(本人はそうは思ってないのでしょうが)で破産し、全てを無くし落ち込んでいるといった画家の様子は全く窺えません。絵の注文主にも媚びることなく自分の絵を描き続けたレンブラントですが、最後まで自分は画家の誇りを失ってないぞ、とでも言いたげな渾身の一枚です。

といったところで、今回のフェルメールは終了です。これまで見てきたフェルメールの絵の話もほとんど書けてないし、同時にみて来て紹介出来てない絵もたくさんあったり、勉強不足でその良さを見逃している絵などもあり、名残り惜しいのですが今の自分にはここまでが精一杯ですね。
(おわり)
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by ttru_yama | 2013-02-03 11:00 | ギャラリー

1211-1302 フェルメールの少女、12年越しの再会-8

f0005116_10502381.jpgえー、フェルメールに戻りまして、「12年越しの再会-4」の「天秤を持つ女」から、九州へ「真珠の首飾りの少女」を経て、また最初に「真珠の耳飾りの少女」を見た、大阪市立博物館まで遡ります。

ということでこの初フェルメールの時の少女の印象は、小さな絵の前に人山が取り囲んで、最前列に並んでいても立ち止まれないので、落ち着かなかったということです。(笑)

(そしてこれは今も同じですが) 図録などのアップでの画像に見られる、少女の顔の絵の具の「ひび割れ」は、何故実物では確認できないのだろう?ということや、こちらが移動しても少女の眼はずっと追ってくること、そしてフェルメールが描いて以来ずっと時間が止まってしまっていて、こうして時を越えて僕らの時代にやって来てくれたのか、みたいな感動だったでしょうか。

f0005116_1140252.jpgそして昨年11月の再会時に戻りまして、神戸展のリーフレットです。
今回は平日だったためか、そんなに混み合わずに観ることが出来ましたが、混雑解消の方法として、並んで観る行列とその後方で遠巻きに観るパススルーのエリアが設けられていたことに感心しました。(要するにじっくり見たい人だけ、並んでということです)

今回の観賞ポイントも相変わらずの「ひび割れ」(笑)と、TVの番組でやっていた(この画像では難しいけど)、絵に向かって右口元の白い輝点(これによって少女が生き生きとして見える)でしたが、ひび割れは最後までよく分からりませんでしたが、口元の白点は何度か見直し確認出来ましたね。

まあ、元が44.5×39cmの絵ですから、ひび割れは本当に目をくっつけて見ないとわかりませんね。しかし真珠の輝きと質量感はよく分かりました。
映画「真珠の耳飾りの少女」では、メイドのグリートが耳たぶに穴を開け、耳飾りをつけるのですが、結構重かったのではないでしょうか。

「牛乳を注ぐ女」(1658-60)が永遠に牛乳を注ぐ様に、耳飾りの少女は永遠に時の彼方から、12年後も同様にこちらの世界を見続けています。
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by ttru_yama | 2013-01-27 21:00 | ギャラリー

1211-1302 フェルメールの少女、12年越しの再会-7

ということで、「真珠の首飾りの少女」を観てきましたが、ことのついでにもうひとつチェックしたいことがあります。もうすでに、いろんな方がやって見えるとは思うのですが・・。
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・・と、ペタペタと並べましたが皆フェルメール作品でして、一番左は今回の「真珠の首飾りの少女」(1662-1665/ベルリン国立絵画館)の部分図です。そして何をチェックしたいかというと、少女の着る白地に斑点の襟が付いた黄金色のガウンの衣装です。

f0005116_23253535.jpgで、右隣の上段の絵は「手紙を描く女」(1666/ワシントン、ナショナル・ギャラリー)ですが、こちら同じガウンはもちろんのこと、さらにテーブルに黄色いリボンの付いた、真珠が置かれていることです。

そしてその右隣は手紙を書いてる途中で、女中が手紙を持って来たという、何やらいろんな出来事が錯綜しているような絵で「女と召使い」(1667-68/ニューヨーク、フリック・コレクション)です。この絵のガウンが一番光り輝いて見えますね。

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上段その右隣は、前に少し出てきた「リュートを調弦する女」(1664頃)です。


小さいのでこちらも拡大図をつけておきますが、この人も真珠と耳飾りをまとっていますね。こうなると耳飾りも、皆共通のものなんでしょうか。


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そしてもう一つ行っちゃいましょうか。左下段に移って今度はギターなのだそうですが「ギターを弾く女」(1670-75/ロンドン、ケンウッド・ハウス)です。

ここまで見てきただけでもこのガウン、長年にわたって絵に登場します。フェルメールお気に入りの衣装だったに違いありませんね。
そしてこの人も真珠をつけていますが、珍しく光線が右方向からあたっています。

・・と、年越しになりますが、今年はここまでにしときましょう。(来年につづく)
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by ttru_yama | 2012-12-31 09:00 | ギャラリー

1211-1302 フェルメールの少女、12年越しの再会-6

さて今回のベルリン国立美術館というものは、実際にはベルリンにある15の美術館・博物館の総称であることを初めて知ります。
サブタイトルが「学べるヨーロッパ美術の400年」ということで、15世紀から近代までの美術品が満載で、彫刻から絵画そして素描まで108点を観る事ができます。
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しかしそんな時間も知識もないので、ここではやはりフェルメールと同時代の、オランダ絵画に目がいきます。

ということで、ヤン・ステーンの「喧嘩するカードプレーヤー」(1664-1665/ベルリン国立絵画館)90×119CM、サイズも調度見頃の作品です。
まあ、場面はカード賭博のいさかいで、ナイフやサーベルが出てきてあまりおだやかではないのですが、宿の女主人や小間使いらしき小さな女の子が、サーベルを抜こうとする紳士を止めに入ってることで、修羅場の場面の緊張感を少し和らげています。
彼女らにとっては、おそらく日常茶飯事の喧嘩なのでしょう。

でも床下は散乱し犬も吠えて、ヤン・ステーンお得意のドタバタ感がでています。喧嘩する本人同士、仲裁する人、けしかける者、知らぬ振りでみまもる人。本当にステーンはこういった状況を画面にピタッとはめ込んでいることです。
そして、今回の絵はステーンによくある「絵の中にある寓意」をあまり考えなくて、ストレートに楽しめる嬉しい一枚でした。
f0005116_20205443.jpgさてヤン・ステーンを見た後は、お目当てのフェルメールの「真珠の首飾りの少女」(1662-1665/ベルリン国立絵画館)です。
前々回紹介した「天秤を持つ女」(1964頃)とほぼ同時期で、ポーズも似通っていますが、こちらは小鏡に向かって真珠のつけ心地を確かめているようです。

f0005116_2058059.jpg・・とそこで、観てきたはずが実は観てないというか、何せ小振ぶりの絵(55×45CM)なので、(いいわけなのですが)図録の解説を見て、「あっ、少女が手に持ってるのは真珠の首飾りではなく、首飾りに結ばれた黄色のリボンだったのか」、というのを知る事になります。(笑)
そのあたりはリーフレット写真の方がよく分かるので、それを部分拡大しました。

実はこの拡大図でも分かりにくいのですが、図録にある拡大図では真珠の粒々の少し上に、黄色い点々が真珠に並んで薄く描かれています。そしてそれが、真珠全体を金色がかったように見せています。そして金色の衣装とカーテンも黄色・・。それらはおそらくフェルメールが意図して描いたはずです。

そして鏡との間にぽっかり出来た白い壁の空間。ここには地図だとか絵だとかフェルメールにしては、アイテムがいっさい無く、真珠を纏ってそのリボンをもて遊ぶ、鏡に写った自分の姿に見入る少女の、弾む心の内面が伝わってくるようです。
また、この少女にも真珠と思われる「耳飾り」が、ついているのも注目ですね。(つづく)
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by ttru_yama | 2012-12-23 22:00 | ギャラリー

1211-1302 フェルメールの少女、12年越しの再会-5

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というわけで、広島行き夜行バスと朝の新幹線を乗り継いで、九州は太宰府天満宮(写真左下)にやってきました。(クリックで拡大)
その天満宮の近くの山の麓にお社のような建物があり、斜面にエスカレーター(中央部)があってさらにその奥には動く歩道、そして出口を出ると九州国立博物館(右上/2005年10月開館)があります。

さすが国立、なんと山にトンネルまで掘って・・、(まあトンネル通らずとも車でも行けるようですが)、山も立地場所も太宰府天満宮の所有地だそうです。

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そしてこれが九州国立博物館の外観ですが、とにかく巨大な建物です。そしてここまで来たわけは、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(1665-66)ならぬ、「真珠の首飾りの少女」(1662-1665)を、(話の流れで)観に来たわけです。(右上切り出しは館内3F会場入口の様子)

f0005116_13431086.jpgそういうわけで、これが国立西洋美術館で開催された、「ベルリン国立美術館展」東京展(2012.6.13-9.17)に引き続いて、この九州国立博物館で開催された福岡展(2012.10.9-12.2)のリーフレットです。

もちろんこちらの目玉もフェルメールの、「真珠の首飾りの少女」(Young Lady with a Pearl Necklace)です。ところで不覚にもこの絵の来日を全く知らずにおり、「耳飾りの少女」のブログ記事のためネット検索していて、「初来日」という記事を知ったのでした。その時もまだ「耳飾りの少女が「初来日」ってどういうこと?!」って、思ってたぐらいなのですが・・。(笑)

そして会期があと2週間弱と知って、ラスト8日前、なんとかここに辿り着いたのでした。どうでしょうか、前回の「天秤を持つ女」(1964頃)と立ち位置が同じ構図です。(まあフェルメールの絵としては当たり前かも知れませんが)。そして「耳飾りの少女」の記事の流れ上で、この絵にも出会えたことは嬉しい限りです。
(つづく)
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by ttru_yama | 2012-12-15 15:00 | ギャラリー