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080530 小原「夏の七草そば」と杉田久女句碑-2

080530 小原「夏の七草そば」と杉田久女句碑-2_f0005116_2195592.jpg前回でお知らせしたように小原和紙工芸の祖・藤井達吉を訪ねる話は、杉田久女の句碑の出現でいったんストップすることとなりました。写真は愛知県豊田市小原地区松名町の杉田家の庭にある「杉田多十郎翁頌徳碑」ですが、大正/昭和戦前期の俳諧にその名を轟かせた杉田久女(すぎたひさじょ、明治23.5.30-昭和21.1.21)の句碑と墓が何故かこの杉田家の敷地内にあるのです。
地元では周知の話なのでしたが、私はその事を全く知らずに小原にやってきて、いきなり久女の句碑に遭遇したのでした。久女は九州小倉の女流俳人だとは知っていましたが、なぜ山村のこの地に久女の句碑があるのかとても不思議だったのでした。

080530 小原「夏の七草そば」と杉田久女句碑-2_f0005116_051030.jpgその答えは杉田久女の年譜を見て行くと分かるのですが、少しプロフィールを見ていきたいと思います。久女は長野県松本出身の父大蔵省事務官赤堀廉蔵と、兵庫県出石出身の母さよの三女(本名:久/ひさ)として父の赴任先の鹿児島で生まれます。その後岐阜大垣、琉球、台湾、東京と父の転勤で移り住み、東京女子高等師範学校附属・御茶水高等女学校を明治40年に卒業します。
そして明治42年、愛知県小原村出身で上野美術学校西洋画科を卒業した東京美術学校研究科生の杉田宇内と結婚します。結婚後、夫宇内は美術学校を中退し福岡県小倉中学校の美術教師として赴任し、久女もそれに従います。(ということで小原は夫の実家なのでした)

2女をもうけた後子育てのかたわら、俳句趣味の次兄・赤堀月蟾(げっせん)の手ほどきを受け、大正6年1月号より高浜虚子主宰のホトトギス「台所雑詠」欄(女性の俳句を募ったもの)に、号を久女として投稿を始めると作品はどんどん掲載され、久女にとっても句作が生きる糧となっていきます。大正7年4月号では初めて虚子選「雑詠」欄にも掲載され、翌大正8年8月号では久女を有名たらしめた句、「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」が掲載され、女流俳人久女の地位を不動のものにしました。

ことのついでに言いますと、「杉田多十郎翁」というのは、夫杉田宇内の祖父であり小原村の村長もしていた人物で、地区の寺子屋も開いていました。若くして郡会議員になり、明治期生産量が落ちた小原和紙の復興に務めたといいます。
by ttru_yama | 2008-06-09 00:20 | 杉田久女
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