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0910-「20世紀少年」の町-263 (南吉生誕102年-118)

帰ってきた「ででむし詩碑」-33

0910-「20世紀少年」の町-263 (南吉生誕102年-118)_f0005116_293240.jpg墓石の裏側へ回ってみますと、前回の母の追悼文などが確認できます。左が母「志やう」さんで、右が河合弘氏のものです。

弘氏の方には、著書「友、新美南吉の思い出」の冒頭にも出て来る、南吉の詩「手紙」の一部が彫られています。かなり見づらいのですが次のように見えます。
「河合ヨ。 雪ノ日ノ手紙 イタゞイタ。 君ノ手紙ハ遠クカラ来て、 私ノココロニ ヤサシクフレル。 」
実際の詩はまだ長いのですが、墓碑の方は最後の結びの部分が彫られています。
「ウン くりすますガ 来ルネ。 君ノトコヘモ ココヘモ。 河合ヨ アシタヲ待ト(タ?)ウヨ。新美」とあります。

「手紙」の詩はS13.12.13の作品で、南吉が安城高女に勤めた年の暮れ、まさに「くりすます」が来る前に書かれています。そして南吉が大垣の河合家を訪ねたのは、翌年の12月26日のことになります。
河合氏の墓碑の側面には、
「昭和五十六年十月三十一日 悲しみのうちに 妻 道 之を建つ」とあります。河合氏は亡くなられた当時、東京に住んでいましたので、おそらく妻の道(みち)さんが墓碑に夫の親友の詩を刻み、母の傍へ建てられたことでしょう。その道さんも亡くなられています。

0910-「20世紀少年」の町-263 (南吉生誕102年-118)_f0005116_333638.jpg寺の住職に河合家の位置を訪ねましたが、わからないとのことでした。現在の大垣市は「奥の細道」のむすびの地として、平成15年度から関連の句碑を川沿いに22基設置しています。

圓通寺もそのコース上にあり、14番目の「わせの香や分入る右は有そ海」の碑が、門前に建っています。様変わりした街の様子を、天国の二人はどのように眺めていることでしょう。
by ttru_yama | 2015-06-16 09:22 | 新美南吉
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