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0910-「20世紀少年」の町-260 (南吉生誕102年-115)

帰ってきた「ででむし詩碑」-31

0910-「20世紀少年」の町-260 (南吉生誕102年-115)_f0005116_23172979.jpgかくしてS23(1948)年11月20日、新美南吉(細かくいえば新美正八先生)の「ででむし詩碑」は除幕されたのでした。(写真は現在の桜町小学校にある詩碑)

おそらくこの詩碑は、その後も安城高女の同窓会が開かれるたび、教え子たちに先生の記憶を思い起させる「記念碑」となったことでしょう。しかしいくら生前に「おぢいさんとランプ」が出版されたといっても、当時まだ南吉は無名の作家でした。

南吉先生が世に知られるようになったのは、兄と慕った巽聖歌の献身的な努力に負うところですが、教科書に「おじいさんのランプ」(S28年初掲載)や「ごんぎつね」(S31年初掲載)が載ってからの事と思います。

ということで元々の建碑理由も、安城高女の同僚や同窓生のみぞ知るプライベートなものだっただけに、その後年月とともに学校内でも詩碑のことは忘れ去られていったようです。

0910-「20世紀少年」の町-260 (南吉生誕102年-115)_f0005116_151385.jpg東京外語時代の南吉の友人で、後に「友、新美南吉の思い出」(写真)を記した河合弘(1915-1981)氏が、南吉顕彰活動に関わり出したS38(1963)年当時の、詩碑の様子を顕彰会の会誌「聖火」に寄稿しています。(以下引用)

『・・この石に刻まれた詩は、これも写真ではひじょうに鮮明のようにおもいこんでいたが、あさい彫りなので、あんがい読みにくい。それに拓本でもとった跡らしく、あちこち墨のよごれもついていて、ますます読みずらくなっている。

・・この石のまわりは、石ころでいっぱいである。工事であまった石ころの捨ててあるなかに、無造作に詩碑が転がっているようにみえる。校舎の棟と棟のあいだの空き地で、ろくに草も生えていない。ただ一本、やせた椎の木が石のそばに立っていて、申しわけのように葉をつけている。』


この頃の安城高等学校で起きていたのは、旧の木造校舎が鉄筋コンクリートの新校舎へ切り替え工事(S36年2月完成)だったのでした。河合氏が見た風景は完成後のS38年ですが、それでも記述にあるように「ででむし詩碑」も、この工事には無関係でいられなかったようです。
by ttru_yama | 2015-05-26 21:05 | 新美南吉
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