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0910-「20世紀少年」の町-247 (南吉生誕102年-102)

帰ってきた「ででむし詩碑」-19
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さてここからは、「ででむし詩碑」に刻まれた「生(ア)れいでて」から始まる詩の、誕生から詩碑となるまでの物語です。

前述したように、南吉先生はS13(1938)年から安城高女に勤め、通しで4年間19回生の学級担任を受持ちました。
担当教科は「英語」「国語」「農業」で、国語では作文などに重点を置き、生徒には日記なども提出させて指導しました。

そんな1年目が過ぎようとしていたS14(1939)年2月、南吉先生は生徒から詩を募り、生徒詩集を作ることにしました。
そのきっかけとして、S14.1.30の南吉日記(全集11巻P.568)には、細井と佐薙(さなぎ)という生徒が日記に詩を書くようになり、「一月毎に自由詩のパンフレツトを作らうと決心した。」とあります。また春に転校してゆく、佐薙の思い出とするためでもありました。

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その記念すべき第一集のタイトルは「雪とひばり」(新美南吉記念館、写真は文字識別のため、コントラストを強調したもの)で、日記によれば生徒の詩を30篇ほど載せたものでした。

その「雪とひばり」というタイトルは、南吉先生が考えたもので2/3の日記には、「冬ひばり」の詩を書いたと記され、2/8に原紙を切りはじめたとあります。ただひばりの出て来る童話はありますが、私は「冬ひばり」の詩を確認できていません。。

また私は詩集の中身を見てはいませんが、南吉研究者の「大野秋紅」氏の記事によれば、「詩集6冊の題名はすべて生徒作品の題名又は詩中の特異な語をアレンジしたものである。」といいます。
ということで、大野氏は生徒の詩に「雪」「残雪」の記事が5つあったことを指摘しています。

おそらく南吉先生からの「お題」の一つが、「雪」だったではと想像されますが、「ひばり」の出処については言及していないので不明です。また第一集だけは、袋折りした半紙10枚もの(ということは表紙も合わせて20ページもの?)だそうです。

この先書きますが大野氏も言われているように、この「雪とひばり」のタイトルは南吉自身も気に入っており、その後生徒との重要な絆となるキーワードになっていきます。

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そしてこちらが表紙の裏ページで、とくに詩のタイトルは無く「はじめに」という序の後に、

生(ア)れいでて/ 舞ふ蝸牛(デデムシ)の/ 触角(ツノ)のごと/ しづくの音に/ 驚かむ/ 風の光に/ ほめくべし/ 花も匂はゞ/ 酔ひしれむ

の詩が書かれています。この「生れいでて」については、2/2の日記には昨夜できたとあります。ですからこの詩集は、発行を思いついてからきわめて短期間に、序の構成まで考えられて作られたもので、もちろんこの詩には生徒への、メッセージが込められています。

そして生徒詩集は紙の配給の厳しくなる9月まで、ほぼ毎月第六集まで、全て南吉手書きのガリ版印刷により発行され、とくに南吉学級の19回生には、先生との思い出のつまった詩集となったのでした。
by ttru_yama | 2015-02-17 16:00 | 新美南吉
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