0910-「20世紀少年」の町-246 (南吉生誕102年-101)

帰ってきた「ででむし詩碑」-18
話がだいぶ長くなってきたので、少しここまでの「おさらい」をしたいと思います。当ブログでは2013年1月から始まった「新美南吉生誕100年」を、当時出回ったリーフレットとともに紹介してきました。
そんな生誕100年イヤーの出来事の中で、私には特筆すべき出来事がありました。それは南吉没後の5年後に建立された「ででむし詩碑」が、その後安城高校に移動したのち、34年ぶりに元の地に里帰りするという出来事でした。

f0005116_151391.jpgというわけで、「その元々の石碑となった石は、学校の中庭にあった石なのでした」と、いう所までが前回迄のあらすじです。

ところで前回掲載した図は昭和3年のものでしたが、「人間・新美南吉」(写真参照)には、著者のかつお・きんやさんが、前述の加藤(旧姓山口)さんはじめ当時の教え子8人の協力をもとに、「安城高女略図」として見事にまとめています。

それまで私はこの本の存在を知らず、「愛知縣安城髙等女学校敷地及校舎平面圖」をもとに加藤さんにお聞きして、前回掲載した様な関連写真と合わせた図を作っていましたが、今回かつお・きんやさんに事情をお話し、そういうことならと「安城高女略図」掲載の許可を頂きました。

この図では詩碑の石の話には触れていませんが、当時の学校の庭の様子が生き生きと伝わってきます。写真やこういう資料により、南吉先生の時代を身近に感じて頂くことも、このブログの主題なのです。

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ということで、こちらが南吉先生の時代の「安城高女略図」となります。(かつお・きんや著「人間・新美南吉」より)本文にある19回生の記述を抽出しておおまかに編集しますと、

「(学校は)緑の木々にかこまれ、正門のそばには赤紫の木蓮、通用門の右には八重さくら、左には金木犀、玄関付近にはのうぜんかずら・朴の花があった」
「中庭には四季の花があふれて、すみれ・水仙・チューリップ・ヒヤシンス・デージー、一年の教室の南の窓からは垣根のようなこでまりが垣根をつくっていた」
「つつじ、さつき、梅雨の頃には紫陽花、初夏には校庭の池のほとりに藤棚・あやめ・水蓮・桜・桃・ねむの花・萩が咲いていた」
その他「朝顔・カンナ・グラジオラス・ばら・ひまわり・夾竹桃・木槿・くちなし・けいとう・ダリア・サルビア・コスモス・菊」
というように四季を通じて、庭には多彩な花が咲いていたといいます。
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とくに中庭を中心に図を拡大してみました。この本に出てきた19回生の加藤さんたちは、1年生から4年生までずっと南吉先生の学級でした。

加藤さんのお話によれば、4つある中庭の花壇には学級別に受け持ち区分があり、南吉学級は講堂の左下にある花壇の管理を任されました。(後に詩碑に使われた石の置かれていた花壇です)
この花壇は、他がさつきとか椿のように日本的な木が多かったのに比べ、菊もありましたが主に洋花(ひまわり・けし・チューリップ・ばら)が多く植えられていました。

担当花壇なので花好きの南吉先生も植え替えなどを手伝い、年に一度中央にある池の水を干したりしたそうですが、とにかくこの19回生の思い出多き中庭の、右上の場所にあった石がそのまま詩碑として使われたわけです。
(次回1回お休み)
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by ttru_yama | 2015-02-03 21:39 | 新美南吉
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