0910-「20世紀少年」の町-246 (南吉生誕102年-100)

帰ってきた「ででむし詩碑」-17
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さて、この「愛知縣安城髙等女学校敷地及校舎平面圖」(安城市歴史博物館)ですが、昭和3年の図面ですので、教室などの呼称が、南吉先生の勤めていた時代(S13-S17)とは少し違っています。
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そしてせっかくですので、関連写真を図面上の場所付近に貼ってみました。

まず一番下は正門の写真(「写真集 明治大正昭和 安城」より)です。堂々とした石の門柱が4本建っていて、鉄製の門扉で仕切られていたようです。南吉先生もここを通って玄関に向かったことでしょう。
ただし一般の生徒(先生も)は右手にある、生徒通用門からの出入りでした。そして登校下校時には、校舎に向かって一礼をしました。

玄関を入るとまっすぐに中央廊下があり、3つの校舎をつないでいますが、南吉先生は左手に折れ、事務室、校長室ときて次の教員室(職員室)に向かいます。教員室の隣は図書室、會議室とあります。その郷土室で撮られたという、定番ともいえる「弥厚翁」の本に手を添えた南吉の写真を、上方に貼っておきましたが、同僚の戸田先生がここで撮った写真だそうです。

f0005116_237618.jpg写真が趣味の戸田先生は、もう一つ貴重な南吉先生の姿を記録しています。一番上(南校舎)の作法室の廊下でくつろぐ写真(S14.6/新美南吉記念館)ですが、南向きで縁側があり、外にはこの一角だけ囲った日本庭園があったところです。

写真は生徒のいない宿直の日かとは思いますが、実にリラックスした姿です。その作法室のある校舎の一番右端が、図画と音楽の教室(後に音楽室)でした。ここにあったピアノが生誕100年の時、修復公開され「安城高等女学校校歌」などを奏でた「周ピアノ」です。

ただし写真は生誕100年時のもので、周囲に合わせモノクロにしたものです。そして中校舎の右端が講堂でした。講堂には別のグランドピアノがあり、校歌の他、学校行事等の発表会に使用されました。

f0005116_23422714.jpgそして(ここからが大事なところなのですが)講堂には二つの出入り口があり、その入り口前の廊下は南北と東に通じていました。
特に東に通じる廊下は、一年から四年生までの教室に通じていましたので、講堂で行事があるときはその手前でいつも渋滞が起きました。

その渋滞する廊下の最後のあたり、中庭の角っこ付近には大きな石が三つぐらいあり、芭蕉とかバナナの木をバックに置かれていたそうです。そう、中庭の右上隅にあった石が、後の「ででむし詩碑」となる石なのでした。
(写真は桜町小学校に里帰りした詩碑を、雰囲気合わせのためモノクロにしたものです)
今回の記述は、安城高女19回生だった加藤千津子(旧姓・山口)さんのお話を参考にしています。
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by ttru_yama | 2015-01-26 23:55 | 新美南吉
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