0910-「20世紀少年」の町-216 (南吉生誕101年-69)

南吉生誕100年-リーフレット-32

今回は「新美南吉と刈谷の会」さんの刈谷周辺マップの中にある、「刈谷高等女学校」と南吉の関りを見てみたいと思います。
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リーフレットの写真では、ご覧のようによくわかるよう新旧の校舎を対比して掲載しています。もちろん安城高等女学校に勤めていた新美先生(=南吉)が訪問したのは、左の「刈谷高等女学校」(左一部省略)で、右が現在の刈谷北高等学校です。

そして南吉が刈谷高女の音楽会にやってきたのは、昭和15(1940)年2月24日のことでした。南吉は2年前の昭和13(1942)年4月に安城高女の教師となっています。
まず、音楽会にやって来た時の日記を見てみましょう。
『2.24 刈谷の女學校へ音樂會をききに。驛の前のみすぼらしいめしやにはいつて晝飯を注文する。』・・『女學校。近代風の建物。』

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(こちらは「ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 刈谷「刈谷高等女学校」写真より)
『クリーム色。二階のまどに水兵服が見える。まだ工事中と見え、足場がとれてない。應接室。生徒の油繪二枚。あぢさゐと、奈良猿澤の池。壁の向こうで生徒達の聲がにぎやかだ。天井がどんどん鳴る。すまうでもとつてるみたいに。・・』

写真でみると確かに二階建てで、そこからセーラー服の生徒がみえたのでしょう。それにしても相撲でもとっているように活発な女生徒だったようです。

『第一囘二年合唱。きたないカーキ色の運動靴がならぶ。あかで光るスカート。少し鼻水で小鼻をぬらした子もいる。』2.28『生徒によるバイオリン三重奏。すすり泣いてゐる様だ。ヴァイオリンがではなく、少女たち自身が。はなをすゝりながら。』まあ、他校とはいえ、遠慮会釈のない描写です。安城高女ではそれほどに見かけない光景だったのでしょうか。

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(写真は今年5月の刈谷北高等学校です)
さて、南吉は来賓として刈谷高女に招かれていったわけですが、それ以外にも刈谷高女は南吉と縁深くなる学校になります。「刈谷周辺マップ」にもあるように、南吉を安城高女に薦めた恩人である佐治克己校長が、この音樂會のあった年の5月から刈谷高女に異動となっています。

と、今回はこれにて。
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by ttru_yama | 2014-06-10 00:47 | 新美南吉
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