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0910-「20世紀少年」の町-208 (南吉生誕101年-61)

南吉生誕100年-リーフレット-23(2013.4)

0910-「20世紀少年」の町-208 (南吉生誕101年-61)_f0005116_2155947.jpg前回、山車の出る「半田の春まつり」の話をしましたので、今回はその「お祭り」が物語に登場する南吉童話「狐」の話です。

ということで掲載写真は、半田市教育委員会・編集「南吉童話集」(平成23年12月発行)に収められている「狐」で、祭りの夜に狐に取りつかれたと心配する文六ちゃんと、彼の話に耳を傾け優しく愛しむ母親の物語です。

以下、祭りの写真を掲載していきますが、物語の背景は夜になってからの宵宮の情景です。作品「狐」は、南吉が亡くなる2ヶ月ほど前の昭和18(1943)年の1月に書かれました。

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さて2013年4月14日の朝10時頃、岩滑の山車の一台「義烈組」の「八幡車」が南吉の生家前(左手の家)にやって来ました。

南吉の生家は、父多蔵さんが「畳屋」、義母の志んさんが「下駄屋」をやっていましたが、南吉は「狐」にも「下駄屋」を登場させています。

文六ちゃんはみんなと祭りに行く途中、下駄屋に寄り新しい下駄を買いますが、夜新しい下駄を下ろすと狐がつく、という迷信があります。そこで店のおばさんはマッチを擦るまねをして下駄に触り、迷信を解くおまじないをしてくれます。

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10時15分ごろ、ハ幡車(左)と西組の「御福車」(右)が八幡社の境内に並びました。この後山車は移動中は下ろしていた、2階の屋根部を持ち上げます。持ち上げたままだと、電線に架かってしまうのです。また安全の事もあるのでしょう。

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10時40分ごろ、神子(みこ)さんの舞が始まりました。神子さんは「義烈組(東神子」と「西組」で二人が選ばれています。

童話「狐」ではこんな風に書かれています。
『子どもたちは綿菓子を食べながら、稚児さんが二つの扇を、眼にもとまらぬ速さで回しながら、舞台の上で舞うのを見ていました。その稚児さんはおしろいをぬりこくって顔をいろどっているけれど、よく見ると、お多福湯のトネ子でありましたので、
「あれ、トネ子だよ、ふふ」
とささやき合ったりしました。』

南吉の時代、岩滑には2軒くらい銭湯があり、南吉も弟・益吉さんと行っていたことが日記に書かれています。なお、写真に祝い袋が写っていますが、神子さんや笛を吹く子達への祝儀のようです。

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そして12時半ころ、義烈組の「八幡車」で「三番叟(さんばそう)」が始まりました。

「狐」ではこのようにあります。
『山車の鼻先のせまいところで、人形の三番叟がおどり始めるころは、少しお宮の境内の人も少なくなったようでした。・・人形は大人とも子どもともつかぬ顔をしています。・・ときどき、またたきするのは、人形をおどらす人が後ろで糸を引くのです。』

「狐」では人形が口を開け、舌を出すのですが、現在の人形はまたたきとか舌を出す動作はしません。南吉の時代はそうだったのでしょう。
そして物語では夜の時間帯の祭りで、子どもたちは「提灯の光の中」で人形を見ているわけで、人形の不気味なことが子どもたちに、「狐つき」の話を思い起させるのでした。

この「祭り」の出てくる部分はほんの序盤の部分で、物語はまだまだ先に進むのですが、ブログ的には「山車まつり」の紹介がメインなので、ここまでにしておきます。

しかし何かにつけて郷土に根付いている南吉作品ですが、これほど郷土色の濃い作品は無いのではないでしょうか。と、今回はこれにておしまいです。
by ttru_yama | 2014-04-13 23:50 | 新美南吉
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