0910-「20世紀少年」の町-155 (南吉生誕100年-17)

前回は南吉お気に入りの喫茶店、「カガシヤ」の場所を探ってみました。南吉はいつ頃からカガシヤに行き始めたことでしょうか。
これも日記などの資料を全て見ているわけではないので、推測になるのですが、おそらく昭和6年4月、17歳で母校・半田第二尋常小学校の代用教員になって、給料を貰うようになってからのことでしょう。

その翌年4月から4年間、南吉は東京外語学校にて学生生活を送るのですが、東京では文学仲間もでき、喫茶店を利用する事も多かったようです。卒業後は東京で就職するも肋膜炎を患って喀血し、昭和11年11月、23歳のとき療養のため帰省します。
この東京時代、南吉を文学仲間や北原白秋に引き合わせたり、就職や病気の世話までひとかたならぬ世話をしたのが、童謡「たきび」で知られる巽聖歌です。

2回目となる病気療養で帰郷した南吉は、最初こそ両親からいたわられるものの、稲刈りなど家の手伝いも出来ない体ゆえ、数日後にはうとましく扱われます。
そんな時、両親の視界から逃れた場所が「カガシヤ」でもあったようです。
f0005116_0374387.jpg
こちらが南吉記念館にある往年の「カガシヤ」の写真で、写真の説明文には、南吉は「入口の右側に席をとり、静かにコーヒーを味わっていました」とあります。

昭和12年2月、当時写真雑誌の編集者でもあった巽聖歌は、療養中の南吉の事を案じ大阪出張の帰途、南吉の家を訪ねます。その27日の南吉の日記に「カガシヤ」が登場します。
『・・雨の中をまた「かがし」までいって六時近く家へ帰ってくると、店に巽が立っていたので、夢かと驚いた。』

「カガシヤ」についてのネット検索しますと、『おもしろ知多半島』さんの記事にミツカン前の場所から「2004年10月移転」したとあります。
また、『underZero』さんのページでは、旧店内の写真と記事が載せられており、かつての店の様子がうかがえます。
f0005116_9195817.jpg
そしてこちらが、「2004年10月移転」後の「カガシヤ」のあった場所(右側の店舗)で、ミツカンの場所から1ブロック南の道向いにありました。
残念ながら店は経営者の方が高齢となり、かなり前に閉店したとのことでしたが、街灯広告にその名残がまだ残っていました。
[PR]
by ttru_yama | 2013-06-10 21:30 | 新美南吉
<< 0910-「20世紀少年」の町... 0910-「20世紀少年」の町... >>