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0910-「20世紀少年」の町-150 南吉生誕100年-13)

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(南吉イベントが続き、長くなるので今週も、江ちゃん里帰りはお休みです) 写真は3/23日の南吉記念館付近から見た、ごんぎつねの名前の由来でもある「権現山」です。

そしてこの日、新美南吉記念館で開催されたのは、「蓄音機コンサート&南吉の初恋ショートトーク」というイベントで、写真右上に会場の様子を切り出しました。会場には半田第二尋常小代用教員時代の南吉と、その尋常小学校からの同級生だった木本咸(みな)子さんの、知多高女(後の半田高女)時代の写真が飾られていました。

南吉は小学校時代から咸子さんに好意を抱いており、中学時代にはペンネームをもじって新美彌那鬼(みなき)にするほどでした。その後南吉は短期徴用された遠藤先生の代わりとして、母校の代用教員となります。その時のクラスに咸子さんの弟もいたこともあり、二人は恋仲となるのですが、その後南吉は、生来の虚弱体質や妻をかえりみない、文学と孤独を愛する性格を理由に、結婚をこばむようになります。

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(と、ここまでは予習した話ですが)、会場には後に咸子さんが嫁ぐこととなる、遠藤先生宅のビクター製の蓄音機が置かれていました。学芸員の遠山さんの話では、蓄音機は遠藤家の蔵を解体するときに記念館に引き取られ、オーバーホールを受けたのだとか。実は南吉も、咸子さんの結婚前に遠藤先生を訪ねており、この蓄音機でクラシック音楽を聞いています。この時南吉は、遠藤先生から咸子さんへの気持ちを問いただされ、却ってはげまされるようなひとときをすごしています。

ということでバッハのフーガ、シューベルツの魔王、ショパンの小フーガ等が演奏され、楽曲と南吉との関係を元南吉記念館長の矢口さんが解説されました。次に咸子さんの娘さんが、父母の話をするのですが、家には南吉の本もなく、他の人から南吉とのつながりを聞いたと話されました。また母の命日は南吉と母の初デートの日だった、というエピソードも明かされました。

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そしてこちらは3/24半田市福祉文化開館にて行われた、「新美南吉 生誕100年没後70年記念 五木寛之講演会 演題 青い鳥のゆくえ」の様子ですが、こちらの緞帳も南吉ストーリーがいっぱいですね。

講演に先立ち半田市長がこれまでのイベントを振り返り、先日の命日イベントが(落ち着いて)静かな雰囲気で良かったと挨拶し、以前五木寛之氏の「親鸞」を掲載していた中日新聞社を通じ、五木さんに講演を依頼した経緯にふれ、五木さんが孤独とエゴの南吉をどう読み解いていくか楽しみです、という話をされました。(講演は録音不可でしたので、以下の記述も言われたままの発言でないのを了承ください)この後に五木さんも似た様な事を言われるのですが、さる講演で言ったことの些細な間違いを、細かく指摘される方がいましたが、大体そういうような事を言いたかった、というおおまかな感じを掴んで理解されるように、そして時に私の作品が入試問題に出る事もあるけど、書いた本人はそんな解釈をしてないと話されました。(会場内、笑い)

五木さんは冒頭で、半田市は初めてで こんな三文文士をどうしてお招きいただいたのか、と挨拶されました。児童文学関連では岡山で「坪田譲治文学賞」の選考委員をされてるそうです。(以下は、おおまかな話の羅列です)

3.11以来、金子みすゞの詩が有名になった。「ごんぎつね」はほとんどの人が知っているが、作者の名前はまだまだ知られていないのでは。(生誕100年をきっかけに)南吉ブームは地下水のように日本中にゆきわたるのでは。かつて大正昭和に全国の少年少女が、(童話童謡を)投稿をした時期があった。自分もレコード会社の学芸部で、売れない童謡を作っていたこともあったり、なぜか「こぎつねちゃん」(?) という作品を書いたこともあった。

そんな時、美智子皇后の「ねむの木の子守歌」のレコードのB面の作詞を担当し、こればかりはよく売れた。自分はロシア文学科だったが、美智子皇后がソログーブの「身体検査」という作品をご存じで感動した。「身体検査」は貧しい家の子が、学校でいわれのない盗みの疑いをかけられ身体検査を受ける話だが、家に帰った時母親は、これどころじゃない、世の中にはもっとひどいことがあるよ、と言った話。それについで皇后は南吉の「でんでんむしの悲しみ」の話もされた。釈尊にまつわる「死人の一度も出なかった家」の話。人は皆そういう悲しみを背負って生きている。

金子みすゞは26歳、南吉の30(29歳7ヶ月)歳も天寿だったのでは。南吉作品には弱者に対してのまなざしがある。でも偉大な作家イコール偉大な人間ではない。自分は物書きで自分でもそう思う。親鸞でさえ心の中は蛇蝎の如くと言った。人間は誰でもひがみ・そねみ・ねたみ・卑屈・エゴなどマイナス面を持っている。
(注、ここで五木さんははっきり言われなかった気がするが、たぶんこういったマイナス面を持ってる人の方が、作品に奥行きと深みをもたらしている、という意味で言われたように思う)

0910-「20世紀少年」の町-150 南吉生誕100年-13)_f0005116_948681.jpg「手袋を買いに」の「ほんとうに人間はいいものかしら。」結論は出ず終わっている。「狐」子どもが狐になったら、母親が身代わりになって猟師の目をそらせ、子どもを逃がす話。作品は作家が意図しない部分が表れることがある。良い作品は作家が作る物ではない。自分も「良くもらったな、天からの授かりものだ。」(と感じることがある)こんな事は誰も言わないので言いますが、南吉も考えてもみなかった事が、作品から見えてくることがある。(写真は半田市教育委員会編集の童話集の中の「狐」の表紙)

「狐」に出てくる身代わりになる母と、子の会話は何とも言えない。でも南吉自身がそうだったかというと、作品通りの人ではない。浄土真宗の教義「悪人正機」(自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知る)嫌な人ほど良い作品を書く。きつね三部作(ごんぎつね・手袋を買いに・狐」には、人間尾不条理が語られている。「青い鳥」せっかく見つけた青い鳥。つかまえたと思ったら逃げた。「手袋を買いに」の「人間はいいものかしら」の疑問符。ハッピーエンドではない。

良い作品は100書いて1つあれば素晴らしいこと。それは天の賜物。その作家を選んで天が与えたもの。といったような話でした。途中あんな優しい作品を書く南吉が、そういう人では無いと言われた人は、「えっ?」っと思ったことでしょう。もちろんそういう優しい面も、南吉は多々持ってたことでしょう。でも伝記などの日記を見て行くと、普通の人と同じように、エゴなところ嫌な面も垣間見えてきます。

五木さんの今回の講演は、同じ作家という立場で、南吉と作品についての所感を述べられていました。そういう話はあまり語られる事がないので、今回の講演は別の角度で見る南吉像を提示したと思います。(上記内容については聞き取りの誤差もあると思いますので、二次利用されませんように願います)
by ttru_yama | 2013-03-30 23:59 | 新美南吉
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