常滑焼きの勉強はまた折に触れてすることにして、焼き物の町「常滑」の玄関口である、名古屋鉄道株式会社/通称「名鉄(めいてつ)」の常滑駅から話をつづけましょう。(余談ですが右の建物「Willセラ」内に観光案内所があり、やきもの散歩道等のパンフレットが置かれています)
常滑駅は名古屋鉄道の前身の1つである、愛知電気鉄道㈱の最初期の路線(現在の常滑線/最近は空港線ともいう)の終着駅(現在の終着駅は中部空港駅)で、大正2(1913)年に当初は貨物駅として開業しました。
ということで写真(常滑市民族資料館蔵)は昔の常滑駅の様子ですが、もちろん運んでいた貨物とは、土管や瓶(かめ)等の陶器製品です。土管は数本を縄で縛ってまとめ、瓶は稲藁を緩衝材にして割れないように輸送しました。
この写真がいつごろのもので、また正確な場所がどこかは私には判りませんが、おそらく現在の常滑駅の少し北部周辺の様子で、右手にある製品の集荷場(伊那製陶/現INAX工場付近か?)へは本線から数本の引き込線が延びていて、そこで貨物車に積載していたと聞きました。
で、こちらの写真(同館蔵)は昭和30(1955)年頃の常滑駅です。貨車の中にも緩衝財としての藁がみられます。これからみても常滑駅は常滑焼製品が日本全国に旅立った、始発駅だったわけです。
昭和30年、小学生のケンヂ達の物語が始まるのは昭和44(1969)年のことですから、まだ彼らの生まれる少し前の常滑駅でした。